2020年5月31日「生きている者の神」

○金 南錫牧師 マルコによる福音書12章18-27節

 ある家に七人の兄弟がいて、長男が妻を迎えたのですが、後継ぎがないまま死んでしまいました。そこで、次男が長男の妻を自分の妻として迎えましたが、次男も後継ぎを残さず死んでしまいました。三男、四男、そして最後の七男まで同じことを繰り返しましたが、七人とも後継ぎを残さず死んでしまい、この女も死んでしまったのです。では、「復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか」と相談を受けたら、どのように答えるでしょうか(20-23節)。
 本日の聖書箇所は、サドカイ派の人々が、「ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の後継ぎをもうけねばならない」という律法規定(申命記25章5節)を取り上げ、イエス様に問いを発しました。
 当時、サドカイ派は、エルサレム神殿などの祭司を出している上流階級で、死者の復活を信じませんでした。その理由は、彼らが旧約聖書の最初の創世記から申命記まで、いわゆるモーセ五書だけを重んじていたことと関係があります。モーセ五書には、復活を記す記述はありません。ですから、この人々は死者の復活を否定していたのです。
 実は彼らも前回のファリサイ派と同じように、イエス様の答え方によって、イエス様を失脚させようとしたのです。
 しかし、イエス様はそのことをよく分かった上で、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになる」と言われ、モーセの書の「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」という言葉を引用して、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている」と答えられたのです(24-27節)。
 ここでイエス様は、サドカイ派の人々が信じているモーセ五書の出エジプト書をあえて引用し、死者の復活を教えている箇所があると言われています。モーセが初めて神様に出会ったとき、神様はご自分のことを「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言われました(出エジプト3章6節)。
 なぜそれが死者の復活を教えることになるかというと、モーセの時代には、アブラハムもイサクもヤコブも、大昔に死んだ人たちだったからです。神様は、すでにこの世を去った彼らのことを覚えていました。そして、彼らの子孫を祝福するという約束も覚えていました。だから、彼らの子孫のひとりであるモーセに現れて、イスラエルの民をエジプトから連れ出す使命を与えたのです(出エジプト3章10節)。
 神様とアブラハム、イサク、ヤコブの関係は、彼らが死んだ後も終わっていませんでした。だから、肉体が死んでしまっても、彼らは死んでおらず、生きていて、やがて復活するのだと、イエス様には言えたのです。
 私たちは誰でも、いつかこの世を去るときを迎えます。健康なときには忘れてしまうかもしれませんが、コロナのような危険にさらされたときや大切な人を失ったとき、死が身近になります。でも、肉体の死はすべての終わりではありません。
 本日のイエス様の言葉から分かるように、神様は、アブラハム、イサク、ヤコブのことを覚えていたのです。同じように、私たちがこの世を去っても、神様が私たちのことを覚えていて、共にいてくださることは変わりありません。大切なのは、生きるにしても死ぬにしても、私たちが今も生きて働いておられる神にしっかりと目を向けて、生きていくことなのです。