2020年9月27日「大祭司の裁判」

○金 南錫牧師 マルコによる福音書14章53-65節

 本日の聖書箇所には、イエス様が大祭司の裁判を受けたことが記されています。
 しかし、「祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めたが、得られなかった」とありますように(55節)、すでにイエス様を死刑判決することが決まっていた裁判でした。
 ゲツセマネで祈られたイエス様は、ユダの裏切りによって捕らえられ、大祭司の屋敷に連れて来られました。そこに、祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来ました。
 ある人々は、神殿に対する冒とく罪を持ち出しましたが、彼らの証言は食い違っていたのです(59節)。そして最後に、大祭司による審問に入ります。
 「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか」。
 大祭司はイエス様に今までの偽証への釈明を求めました。しかし、イエス様は黙して、語りませんでした。そこで、重ねて大祭司は「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と尋ねたのです。
 この問いかけに対して、イエス様は「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」と答えております(62節)。
 このイエス様の言葉尻をもって、最高法院のメンバーたちは、自分を神とするイエス様に対して、神への冒とく罪として、死刑にすべきだと決議したのです(64節)。
 教会は、イエス様こそ、神の子・キリストであることを告白するところです。イエス様がユダヤの最高法院ではっきりと、「そうです」と告白されたように、教会に集われた一人一人がイエス様こそ神の子・キリストであることを告白し続けていくときに、教会は教会になっていくのです。