2020年12月20日「神がともに」

○金 南錫牧師 ルカによる福音書2章1-20節

 ローマ皇帝アウグストゥスはユダヤの人たちに、住民登録をせよと命令を出しました。それは、税金を納めるためでした。権力者の命令に、ヨセフとマリアも従わなければなりません。
 しかし、二人にとってはそのタイミングが悪すぎでした。マリアはイエス様を妊娠していて、もうお腹が大きくなったからです。二人が住んでいたナザレという村からベツレヘムという町まで、1週間以上の長い旅をしてやっとベツレヘムの町に着きましたが、住民登録のため、ベツレヘムに大勢の人が集まり、「宿屋にはヨセフとマリアが泊まる場所がなかった」のです(7節)。
 仕方なく、二人は誰かの馬小屋に泊まって、マリアはそこでイエス様を生むことになりました。そして、生まれたばかりの幼子イエス様は、家畜の餌を入れる飼い葉桶に寝かされました。それはこの世に来られた救い主の誕生にしては大変にみすぼらしい光景でした。
 しかし、それが、神様の私たちに対する愛のしるしであったのです。なぜなら、そのような場所であるからこそ、私たちは何のためらいもなく近づくことができます。
 そしてイエス様を遣わした神の愛に私たちが触れるそのとき、私たちは本当に生かされる場所が与えられるのです。