2019年11月3日「世にあるかぎり」

○金 南錫牧師 詩編90編1-17節

 私たちの人生は、死ぬまでの限られた時間の中で、家族と共に、隣人と共に歩み続けることです。ですから、人は誰でも人生には限りがあること、有限な存在であることを厳粛に受け止めなければなりません。
 だからといって、悲観的に生きるのではありません。世にあるかぎり、生涯の日を正しく数えながら生きていくことが求められます。
 12節に「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」とあります。ここで「生涯の日」とは、私たちに残された命のある時間です。その命のある日がどのぐらい残っているのか、数えてみること。それが、人間にしかできない知恵ある心です。
 その残りの日々を正しく数える人は、成熟した大人です。ところが、子どものような人は、残された日を正しく数えることができません。
 この詩編の作者は、労苦と災いに過ぎない限りのある人生の中で(10節)、神様を仰ぎ見る姿を見せています。ですから、1、2節にこう祈っています。
 「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。山々が生まれる前から、大地が、人の世が、生み出される前から、世々とこしえに、あなたは神」。
 この永遠なる神様に対する告白は、華やかで贅沢なところから出てくるのではありません。終わらないような苦しみの中から、限りのある人生の中から、「世々とこしえに、あなたは神」と告白することができるのです。