2019年3月31日「モーセの祈り」

○金 南錫牧師
 出エジプト記32章1-35節
 奴隷生活のエジプトから脱出して三か月、イスラエルの民は神の導きとモーセの指導によって、シナイ山までたどり着きました。しかし、モーセがシナイ山に登ったきり帰って来ないので、イスラエルの民全体が不安でした。彼らはアロンに「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」と願います(1節)。アロンはその願いに応えて、金の若い雄牛を造ったのです(4節)。
 山を下りてくると、モーセは若い雄牛の像と踊っている人々を見ました(19節)。モーセは、神にこう言います。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください」(31節、32節)。モーセは、偶像礼拝という大きな罪を犯したイスラエルの民のために、自分の命と引き替えに、イスラエルの赦しを願ったのです。このモーセの執り成しの祈りは受けられて、イスラエルの民は罪を赦され、神の民として歩み続けることができたのです。モーセは祈りの人でした。モーセの死を賭けた祈りがイスラエルの民を救うことになったのです。

2019年3月17日「ローマに着いたパウロ」

○金 南錫牧師
(使徒言行録28章1-16節)

 パウロが一緒に船に乗り合わせた人々に「元気を出しなさい。わたしは神を信じます。私たちは必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」と励ました通りに(27:26)、船はマルタという小さな島に漂着しました。島の住民はすぐに火をたいて、濡れた体を乾かし、暖めることができるようにしてくれました。そのとき、パウロが集めた一束の枯れ枝をたき火にくべました。すると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、パウロの手に絡みついたのです。

 島の人々は「この人はきっと人殺しに違いない」(4節)と言い合い、「正義の女神」が蝮によって罰を与えたのだと判断したのです。彼らはパウロの身体が膨れ上がるか、急に倒れて死ぬか、としばらく様子を伺っても、パウロの身体には何の変化も起こりませんでした。

 それで島の人々は考えを変え、今度「この人は神だ」と言い出したのです。島の人々は良いことが起きればそれは神のお陰であり、悪いことが起きればそれは神様の罰であると信じました。

 それに対して、パウロたちは思いがけない暴風に遭って、マルタ島に流れ着いたのですが、島の人たちとよい関係を築き上げました。ですから、「彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた」のです(10節)。

 ローマ書8章28節に「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」とあります。人生の回り道のときに、私たちはそれを無駄だと思いがちですが、そういうときこそ、万事が益となるように、働いてくださる神に委ねていく信仰が必要です。