中学時代に習ったフォスターの名曲「オールド・ブラックジョー」がお気に入りで、英語の歌詞も懸命に覚えたものです。でも当時は歌詞の意味は、英語はおろか日本語でも分かっていませんでした。歌の深い意味を理解できたのは、ずっと後のことです。 この歌は英語ではGone are the daysと過去分詞で始まりますので、中学生には難しい構文です。それでも中学生の私は訳も分からずに英語で覚えて得意になっていました。 「若き日はや夢と過ぎ、わが友この世を去りて」は、中学生でも何とか分かります。そして英語では、友は皆綿畑(cotton fields)から去り、もっと良いところに(better land)行ってしまったと続きますが、奴隷の境遇から解放されて天国に行ったという意味は分かっていませんでした。 奴隷たちは綿畑でつらい労働に明け暮れていました。歌詞の終わりは「かすかに我を呼ぶオールド・ブラックジョー」で、先に天国に行った友が年老いたジョーに「おまえも早くお出で」と呼びかける声なのです。それにジョーは「我も行かん、はや老いたれば」と応じます。英語はI’m coming, I’m coming, for my head is bending low です。自分も年老いた、間もなくそちらに行くから待ってろよ、ということです。 少年の私は何のことか分からないまま歌っていました。意味を理解したのは洗礼を受けて信仰を深めてからで、それも随分と時間がたってからでした。 マウント・ヴァーノン(ヴァージニア州)のジョージ・ワシントン(初代大統領)の邸宅跡を訪れたことがあります。ワシントン家が所有していた三百十四人の奴隷たちの住んだ薄暗い小屋が今も残されています。邸内の外れの林の中に小さなお社のような、ワシントンと妻マーサの墓があります。奴隷たちのはなく、記念碑だけがあります。そこには「ワシントン家に仕えたカラード・ピープルはこの辺りに埋葬され、跡形がないのでその人々をしのんでこれを建てる」とありました。 偉人ワシントンは南部の人で多くの奴隷を所有していました。カラードとは有色人種つまり黒人を指す「非差別用語」で、記念碑が建てられたのは後の時代、黒人が市民権を得た後のことだろう、とそのとき思いました。ブラックとは黒人のことと知らなかったのはうかつな話です。この歌は奴隷のつらい勤めを終えたら、やがて古い友の待つ神の国に自分も行くよという祈りの歌だったのです。 年を重ねると友人、知人が一人二人と世を去っていきます。「若き日はや夢と過ぎ」るのは仕方ないとして「わが友この世を去りて」は、年を重ねて初めて分かる悲しみです。少年時代に訳も分からずに愛した歌は、今は御国を待ち望む祈りの歌になりました。