転入会者より 落ち着き、包容感、穏やかさ、真摯さに引かれて

○ぶどうの枝第55号(2021年12月31日発行)に掲載(執筆者:FH)

 昨年九月に引っ越してきたが、当時所属していた教会から今年四月までは籍を置いたまま役責を全うして欲しいとの要請があったため、今回は転入会させていただく教会をゆっくりと探すことができた。
 受洗してから今まで、出戻りも含め国内外九つの教会にお世話になり、豊かなお交わりをいただいた。ただ今回は、ひょっとしたらこの世で所属する最後の教会になるかもしれないという思いを抱きながらの教会探しとなった。
 千葉市から成田市までの日本基督教団の教会の中から、公共交通機関でもクルマでも四十五分以内で通えるところで、ホームページ等でここはどうかなあと思った教会の礼拝に出席させていただいた。一度切りのところ、数回行ったところ……。
 その中で、佐倉教会は、会堂のたたずまい、牧師のメッセージ、教会員の雰囲気等、何か引かれるところがあり、転入会を決めさせていただいた。何かを一言で表すのは難しいが、「落ち着き」「穏やかさ」「包容感」「真摯さ」といった感覚の中に神様の導きを感じたのかもしれない。
 それにしても、教会というところは入り難いところだと改めて感じた。「初めての方もお気兼ねなくお越しください」等とよく書かれているが、扉を開けると上から下まで観察され、どなたですかと目で訴えてくる。初めて教会を訪ねる方は、何かしらの課題を抱え勇気を奮ってこられることが多いのではと思うので、それはあまり心地良いことではないだろう。
 コロナ禍で、多くの教会が所属する教会員のためにインターネットを活用し始めたが、これからは教会の敷居を越えられない方や日曜日も働かざるを得ない方をも視野に入れ、訪ねてこられるのを待つだけでなく、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイによる福音書二八章一九節)を実践するべく、インターネットでの宣教を考えていく必要があるだろう。
 イエス・キリストに倣って教会は率先して弱い立場にある人々の傍らにいようとしてきた。昨今、多様性についての認知が世の中では進んでいるが、教会の中では年齢や性の扱いは旧来のままのように感じる(例えば、壮年会/青年会、○○兄/○○姉)。訪ねてこられる様々な背景を持つ方々の障壁にならないよう、こういったことも再考していくべきであろう。
 少子高齢化の波は、既に教会に及んでいる。各個教会の存続問題につながるという認識の下、変えてはいけないことと変えるべきことを見極めながら、皆様とのお交わりを深められたらなあと思っている。