日々与えられる神様の恵み 勇気を出して生きられる

○ぶどうの枝第55号(2021年12月31日発行)に掲載(執筆者:TI)

 今から八年前の二〇一三年にこの場所で「イエス・キリストの体なる共同体としての教会」と題して奨励をするときを与えられました。本日お話するのは、それから八年余りが過ぎて、その間に、主より与えられたときを、どのように生きてきたかの一端をお話させていただくことにしました。
 私は、奨励をした同じ年、つまり六十七歳の二〇一三年春先に東邦大学病院に入院し、身体のホルモンバランス機能が低下する難病の「下垂体機能低下症」という病名をいただきました。以後今日まで服薬生活をして、命を長らえております。この病気は、遺伝的要素が強く、七十歳で死亡した私の父親も、六十代前半で死亡した私の叔父も今日的に考えれば同じ病気だったのだと思います。神様のみ力による医学の進歩と担当された医師との出会い・診断で、私は父の年を越えて今日の日を迎えられたのです。
 神様からの恵みのこの八年間を与えられて、それにふさわしい時を過ごしてきたかどうか、改めて、今回、振り返る時が与えられました。この間に心に残ったことを幾つかお話したいと思います。
 まず、二〇一三年に教会役員として教会の墓地管理委員となりました。仕事は教会墓地に納骨する方のお手伝いをすることが主なる仕事でした。この八年間の間に十三名の方々の納骨のお手伝いをさせていただきました。納骨に当たっては、それぞれのご家庭の事情があり、悲しみ・喜び等を、直接肌で感じる機会を与えられました。これも神様の恵みと思いました。
 例えば、ご家族との関係を断ち切られ、一人で人生後半を生きてこられた方、ご遺族が心の病の中にあり、そのご遺族を思いながら天に召された方、ご遺族が社会的に孤立しており、葬儀もなく納骨された方等々が今思い出されます。これが、生前信仰を共にしていた方々の地上での最後の別れなのかと思いました。神様のなさりようは、厳しいものだとも思いました。

 義母との交わりから

 次に、二〇一九年四月かねてから「ゆうゆうの里」に入居していた義理の母が、天に召されました。生前中は、毎週金曜日、夫婦で「ゆうゆうの里」を訪問し、午前中一時間余が私と義理の母との散歩時間でした。義母は日本百名山を走破した健脚で、九十歳になっても足腰は強く、私との散歩でも、アップダウンを難なく歩く人でした。
 特に、印旛沼の風車からユーカリが丘の我家まで、距離にすると七~八キロメートルぐらいでしょうか。義母と妻で、何回となく歩いてきました。また、我家に来たときは、庭の草取りをよくしてくれました。草取りをした後には雑草が一本もないような丁寧な草取りでした。
 しかし、八十歳ぐらいから認知症が徐々に現れ始めました。義母は、大変きちょうめんで働き者でしたので、「ゆうゆうの里」でのゆったりした生活の中では、自分の「役割」を見いだせず、「生きている意味がない。死にたい。」と頻繁に口にするようになりました。ただ、散歩の途中はいつも楽しそうにしていました。義母は、信仰を持てなかったため、自分で意思表示ができる最後まで自己肯定感、即ちありのままの自分を受け入れることができませんでした。骨折してから、一年余の車椅子生活の後、天に召されました。
 義母との「ゆうゆうの里」での十四年にわたる交わりのときは、私たち夫婦にとっては、貴重な体験でした。年をとって様々な役割を担えなくなった日々を受け入れ、神様から与えられた命に感謝することの難しさも学びました。このような機会を神様から与えられたことに、今は感謝しております。
 このような経験をする機会を与えられた中で、自分の信仰について改めて考えてみよう、学んでみようとの思いが沸いてきました。まず、説教集を読むことを始めました。本来、怠け者の私は、聖書を開き、説教集を読み始めると、すぐに眠くなってしまうのです。金牧師の主日の説教を聞く度に、これではいけないと思うようになり、少しずつ勉強が始まりました。
 主として元鎌倉雪の下教会の加藤常昭牧師の説教集の中からパウロ書簡、ヨハネによる福音書、ヘブライ人への手紙を中心に読みました。この中でヘブライ人への手紙は、特に印象に残りました。ヘブライ人への手紙一二章五~六節に、「わが子よ、主の鍛練を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は、愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである」とあります。
 この八年間に経験したことは、まさに、神様が私に与えてくださった鍛錬の日々でした。病を告知されたことにより、他の病に苦しむ方々を思いやることを学びました。教会墓地管理委員としては、自分の力だけでお世話することの限界を自覚しました。私たちが神様からいただいた人生の終わりの時には、各人各様の終焉の迎え方があるということも、改めて学びました。そして、信仰を持てなかった義母からは、いかなるときも主イエス・キリストと共に歩むことのできる喜びを気付かされました。これら一つ一つが、私を育ててくれた「糧」となったと思います。

 全てを神様に委ねて

 このような時を経て今思うことは、私たちは、いつも自分の生活を見直さなければならない。そしてその生活が「主イエス・キリストにおける神の愛」から引き離されていないか振り返る必要があるということでした。私たちは、苦難・艱難に遭うと、自分の殻に閉じこもりがちになります。そのようなときこそ、気を取り直し、「主イエス・キリストの父なる神様」への祈りのときを持ち、福音に帰っていくべきだと思います。
 しかも、神の恵みは、日々新たに与えられるもので、それによって、私たちは弱いながらも信仰の旅を続けられることを確信しました。このためには、毎週の主日礼拝は、神の恵みに気付く機会であり、欠かすことはできません。
 私たちは、祈りのときには、「主イエス・キリストの御名によって」と言って祈りを結びます。私たちは、「イエス・キリストの御名」の中に生きている者として、「イエス・キリストの御名」を身に帯びている者として、いつもキリスト者として祈っていることが理想です。しかし、現実は、主イエス・キリストの父なる神を信じるということは、自分の弱さ、愚かさ、恥を告白し、さらに自分が罪人であることを勇気を出して神様に伝える、即ち、そのような不確かな・ほころびの多い自分を、神様を信頼して全てを神様に委ねることだと思うようになりました。さらに、全てを神様に委ねることから心の平安が与えられるのだと思いました。そして、それは私たち、取り分け高齢の方々にとりましては、主イエス・キリストが死に向かう歩みの友となっていてくださることでもあります。
 「その主イエス・キリスト」と共に歩むことは、この世に生きている中で、平安を得るためであります。しかし、平安を得るということは、これまで知らない苦難に遭うこともあります。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望へと導かれます。ですから主イエス・キリストに囲まれている私たちは、恐れることなく生きられます。
 本日の聖書箇所、ヨハネによる福音書一六章三三節には、主イエス・キリストが十字架につけられる前夜に、弟子たちに「しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」と励ましの言葉を述べています。私たちは、主イエス・キリストに囲まれて生きています。このことはいかなるときでも「勇気を出して生きられる」ということではないでしょうか。
 祈り:御在天の父なる神様、本日は、奨励の機会を与えられ感謝いたします。今後とも勇気を出して主イエス・キリストと共に歩む人生をお導きください。アーメン。
(二〇二一年八月二十二日の主日礼拝奨励より)