召天礼拝弔辞 Kさんありがとう

○ぶどうの枝第54号(2021年6月27日発行)に掲載(執筆者:MT)

 Kさん。
 今までこんな私をかわいがってくださり、大事にしてくださり、本当にありがとうございました。
 今日は、Kさんがきれいな澄んだお声で歌っている姿を思い浮かべながら、愛唱讃美歌の「山路越えて」(四六六番)を皆様と賛美させていただきました。

(四節)
 みちけわしく ゆくてとおし
こころざすかたに いつか着くらん。
(五節)
 されども主よ、われいのらじ
 旅路のおわりの ちかかれとは。

 この詞のとおり、この世の旅路は苦難のときも悲しみのときもおありだったと思います。それでも精一杯神様に心を向けて、この世を愛し、人に尽くし、楽しみながら安心してご奉仕に命を注ぎ、懸命に生きられたお姿に心から感動します。
 私にとっては突然の教会生活の具体的な欠落で、しばらく言葉を失っておりました。日曜の朝ごとに同じ電車に乗り、「Mさん!」と呼び、すいている電車なのにお尻をよけて「ここよ!」と席をくださいます。京成佐倉駅に到着すると、Sさんがお待ちくださり、車でまずは三人で教会学校の礼拝にご一緒させていただきました。
 Kさん、Kさんが焼いてくださったクッキーで教会学校の子供たちが大きくなりました。
 小さく、やんちゃだった子供たちが、この春社会人になりました。神学校に入学した子供もいます。今一生懸命に自分の道をつかもうと模索している子供もいます。クリスマスには毎年二百枚ものクッキーを作ってくださいましたね。「二週間かけて缶の中に貯めて、冷蔵庫に入れておけば大丈夫よ。楽しみなのよ」とにこにことおっしゃって。食べやすい優しい甘いKさんのクッキーとマドレーヌ。忘れません。
 見習うことばかりでしたのに、何も実行できなかったのが悔やまれます。Kさんからの宿題をたくさんいただいたので、これから一つ一つ果たしていけたらと願っています。とても私には全部はできませんが、今度お会いしたとき褒めていただけるように、一つでも多くできるようにしたいと思います。
 Kさん、本当にお世話になりました。
 心からありがとうございます。
 感謝を込めて。