○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:YK)
「同期二十四人のうち、元気なのはあと三人になりました。N君は元気ですか?」長く勤めた職場の同期の方から、今年九十歳になった父宛てに電話がありました。その方とは同じ囲碁の趣味を持ち、親しくさせていただいたようです。体は徐々に弱って思うように動けないですが、神さまが守ってくださり、長く生かされているのだと改めて実感しました。
母は二〇一六年一月、天に召されました。ある寒い朝、胸が強く痛むと救急車で病院に運ばれ、その日のうちに旅立ってしまいました。あまりに突然でした。父はその時期に腸が悪く、開腹手術を受けたばかりで入院中でした。「きょう悦子(母の名前)は来ないの?」父からの問いかけに、母の死を告げるのが何ともつらかったです。腸の病でやせ細った体を震わせて、病院のベッドで号泣していました。父を支える存在が急にいなくなってしまったので、そこから私と父が共に暮らす日々が始まりました。最初は要介護三でしたが、今では要介護五になりました。父と二人暮らし、はや七年。八年目に入ります。
今より体が動かせた頃は、佐倉教会の礼拝に月に一、二度出席しておりました。「教会に行こう」と言うと、うれしそうに準備をしていたのがついこの前のようです。牧師の説教を聞き、讃美歌を歌い、安心したような表情をしていました。デイサービスに「今日は行きたくないなあ」と言ったことはありましたが、「今日は教会に行きたくない」と言ったことは不思議と一度もありませんでした。最近は礼拝のYouTube配信を視聴させていただいております。
父は温厚な性格です。腹を立てず不平不満を言ったことがなく、人の悪口を言うのを聞いたこともありません。若い頃は何とも思っていなかったのですが、最近は父の人柄をいとおしく感じます。神様が私に与えてくださった大切な存在であると素直に思えるのです。
数年前に私自身の体調が悪くなり、うまく睡眠も取れなくなり、体のあちこちが痛くなり、痛み止めの薬が手放せなくなった時期がありました。父の介護はもう無理かもしれないと諦めかけたこともありましたが、進むべき道へお導きくださいと祈りました。諦めかけた頃、不思議と体調が回復して痛みが減り、生きる力が湧いてきたのです。また介護生活が順調にいくようになりました。神さまが導いてくださったのだと心から感じました。
この生活をいつまで続けられるか、先が見えないことは心配ごとの一つではあります。悩むことも多いですが、人の力で悩みを解決しようとしても、解決できたことはほとんどない気がします。神さまを信頼して祈り、すべてをお任せすることが大切だと思っています。
とはいいつつ、理想通りにいかないことも多々あります。自分自身の欲深いところ、自分の現状に不平不満を感じるところ、イライラすること、人のことを羨む心、日々反省しています。謙虚さと感謝の気持ちを忘れず生活していくのが目標です。
金牧師、会員の方々が自宅訪問をしてくださることに心より感謝しています。神様、教会、会員の方々とつながっていると感じます。皆様の祈りに支えられています。小さな存在でも愛されていることを教えていただく機会が多いです。
父は外出できなくなり、礼拝には出席できませんが、神さまのことは忘れず生活しております。神様どうか穏やかな心で過ごせますようにお守りください。
(KNさんは、二〇二四年六月十七日、天に召されました)