随想 東京基督教大学での四年目の学び 神様の召しに応えて

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:SK)

 佐倉教会の皆様、お久しぶりです。現在は、八千代聖書教会という八千代市にある教会で礼拝生活を送っています。長期休みの際に佐倉教会に戻るといつも「何年生になったの?」と声を掛けていただく機会があります。私は大学四年生になりました。小学生のときからいつもそのように話しかけていただいていました。答えるといつも、「もうそんなに大きくなったのね!前はこんなに小さかったのに!」と言っていただいていたのを覚えています。自分自身、大きくなったなと実感することはあまり多くなかったように思いますが、皆様に成長を見守っていただけたことはとてもうれしいことです。しかし、最近は「大学四年生になりました」と言っている自分に大変驚きます。この間まで自分はあんなに小さかったのに……。皆様の気持ちがやっと分かるようになりました。(笑)
 さて、私は二〇二一年に東京基督教大学に入学をしました。時がたつのはあっという間で、もう四年生、最終学年です。と言っても同大学の大学院に進みたいと願っているので学生生活はもう少し続きそうです。ただ、学部の学びは最終学年になるので昨年よりも少し特別な思いを持っています。入学する前は聖書を一人で読むことなんてあり得なかった私が今では、聖書を書かれたそのままの言語で、つまり旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシャ語で読むことができるように勉強しています。また、今年は卒業研究にも取り組んでいます。「幼児洗礼」についての研究を進めたいと考えています。まだテーマを絞る作業をしている途中なのですが、私自身もこの佐倉教会で幼児洗礼を授けられ、教会に育てられましたので実存的なテーマでもありとても楽しく研究を進めています。
 東京基督教大学はとてもユニークな場所です。年齢、国籍、性格、また教会の教派、信仰の背景などそれぞれ全く異なる人たちが同じ神様を見上げて学んでいます。社会での働きを経験してから学ばれている人生の先輩が同じ学年の仲間として与えられています。先輩なのか、友達なのか、はたまた兄弟のように感じる瞬間もあり、共に祈り支え合いながら学んでいます。また、留学生の割合は全体の三分の一ほどとなっており、英語を使ってコミュニケーションを取る機会も割と多くあります。英語を話せるようになったのか……会話は理解してもらえる程度……と表現するのがよいでしょうか。(笑)拙い英語ではありますが、コミュニケーションを取ることができ、留学生と信仰や神様の話をすることもあります。言語の壁を越えて、同じ神様を賛美し礼拝できる喜びがあります。
 また、「賛美」は新しい世界に出会った感覚があります。「ワーシップソング」と呼ばれる讃美歌のよりポップな音楽があります。ギターやドラムなどバンド演奏を用いて賛美をささげます。母が教会でオルガンを弾いていますが、私は「カホン」という箱のような形をしたドラムのような役割をする楽器で奏楽をすることがあります。また今は「ギター」や「ドラム」などの楽器を練習しています。賛美にも様々な形があるのだなということを教えられ、それぞれに良さがあって、神様を賛美することにも多様性があり、神様が与えてくださった「賛美」の恵みの深さを体験しています。
 もっと皆様にお話ししたいことがたくさんあるのですが、そろそろまとめに入らなければいけないようです。私は牧師になるために学んでいます。いずれはどこかの教会に遣わされ、送り出していただくことになります。ずっと佐倉教会にいたい気持ちもありますが、神様の召しに応えてこの身を献げたいと願います。どこで働くとしても、この佐倉教会を通して私が神様に育てていただいたことは変わりがありません。神様を理解することは本当に難しいことであると、学んでいる中で度々思います。しかし、私が信頼できるのは神様しかいないことも教えられています。佐倉教会の皆様お一人お一人にも神様は触れてくださり、日々御言葉を語ってくださっています。神様と共に歩む人生が祝福され、喜びのあるものとなりますように心から祈ります。
「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
 常に主を覚えてあなたの道を歩け。
 そうすれば
 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」
 (箴言三章五、六節))