随想 初めて教会に行ったとき

○ぶどうの枝第62号(2025年6月29日発行)に掲載(執筆者:SK)

 女学校で隣の席だったSさん、日常の会話の中で自分の家とは何か違うものを感じていました。
 ある日「教会へ行きませんか。」と誘われ、日曜の朝六時前、彼女と一緒に着いた先はカトリック教会のミサだったのです。その日は祝祭日だったのか、ピカピカで荘厳な感じでした。教会に対して全く無知だった私はカトリック、プロテスタントなど知る由もありません。ミサの間中、友達も私自身もどんな行為をしたのか……。
 終了後「うちへ寄って朝食をどうぞ」に黙って雪解けの道を歩いていき朝食をいただきました。温かな千六本の大根の味噌汁、なんとおいしかったことか。忘れられない味です。その後、半年程何度か行きましたが詳しい記憶はありません。
 卒業後、県庁に勤めた私。国道四号線を隔てた所に模造紙の貼られた立て看板によって教会のあることに気付きました。歩いて十二、三分。教会はどこも同じとしか知らない私です。
 冬を控え大根干しがあちこちに見られる秋晴れの日曜日、見つけた教会に行きました。木造、平屋建て十二、三坪六畳二間にたくさんの人が正座をしているのです。そこで背広にネクタイ、六十代半ばの牧師が説教されました。内容は全く不明です。土曜午後の十名ほどの聖書研究には和服に袴を着けて定刻に来られ、四、五名のときであっても同様で、内容は不明ながら、なぜか引かれるものがあり毎週出席しました。
 一九四九年四月イースター、多方面からの支援によって建てられた新会堂(日本キリスト教団青森長島教会)で十数名と共に、中山真平牧師より洗礼を受けました。