○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書4章1ー15節
イエス様は、サマリアのシカルという町に来られました。そこにはヤコブの井戸があったのです。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられたのです(6節)。そこにサマリアの女が水を汲みに来たのです。イエス様はサマリアの女に「水を飲ませてください」と声をかけました。すると、彼女は「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言ったのです(9節)。というのは、サマリア人とユダヤ人は敵対関係にあったので、こう言ったわけです。
イエス様は彼女にこう答えます。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」彼女は今、自分の目の前にいる人が「水を飲ませてください」と言ったのに、どうして、その人が私に生きた水を与えることができるのだろうと不思議に思ったのです。そこで、イエス様はこう仰いました。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」泉というのは湧き出てきます。ですから、イエス様が与える水は、よどんでいない、いつも流れている水です。サマリアの女は、その人の内で泉となり、決して渇かない、湧き出るそんな水があるなら、「その水をください」と願いました(15節)。

