2025年8月17日「最初のしるし」

○金 南錫牧師 ヨハネによる福音書2章1ー12節

 

ガリラヤのカナで婚礼があって、イエス様と、母マリア、そして五人の弟子たちが招かれました。ところが、婚礼の祝いに欠かせないぶどう酒が足りなくなったのです。ぶどう酒が足りないということは、非常に大勢の人がこの婚礼に参加したということです。そして、ぶどう酒が足りなくなってしまうと、この婚礼の祝いは終わらざるを得なくなるのです。ぶどう酒が足りなくなったことに気づいたイエスの母マリアは、イエス様に言います。「ぶどう酒がなくなりました。」それに対して、イエス様は「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と仰いました。イエス様は救い主として働く、それがいつであるかを知っていました。だから「わたしの時はまだ来ていません」と言ったわけです。イエスの言葉を聞いた母マリアは何か感じたのでしょう。召使いたちに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」というのです。

イエス様は召使いたちに清めに用いる水がめ六つに、水をいっぱい入れるように命じました。召使いたちはぶどう酒がなくなったのに、水を汲んでどうするのかと思ったかも知れません。でも、イエス様に言われた通りにしました。そこで、イエス様は「それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と仰いました。召使いたちはイエスの言葉に従い、水を運びます。すると、召使いたちが運んだその水がぶどう酒に変わったのです。私たちの水のような奉仕をも、担っていく中、イエス様が良いぶどう主へと変えてくださるのを見るのです。そこに主イエスに仕える喜びがあるのです。