2024年9月29日「福音の前進」

○金 南錫牧師 フィリピの信徒への手紙1章12ー19節

12節に「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい」とあります。フィリピの信徒たちは、パウロがローマの獄中にあって、心配していました。ところが、パウロは自分の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと、そのことを知ってほしいと言っているのです。自分が捕らえられたことで、かえって福音が、広く伝えられるようになったと言うのです。

13節に「つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り」とあります。「兵営全体」というのは、パウロを監視しているローマの兵士たちのことです。彼らは、監禁されたパウロを通して、キリストのことを知りました。また、教会の仲間たちは、パウロが捕らえられたことを見て、確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになりました(14節)。さらに、「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、・・・自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせている」人たちもいました(15-17節)。彼らに対してパウロは「だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます」と言っています(18節)。パウロは、それがなんであろう、キリストが告げ知らされることを喜んでいます。まさに、自分の身に起こったことが、「かえって福音の前進に役立った」のです。