○金 南錫牧師 出エジプト記16章31ー36節
エジプトから出たイスラエルの民が、荒れ野をさまよう時に、神様は天から日用の糧を雨のように与えて下さいました。朝、起きてみると、荒れ野の地面に薄くて壊れやすいものが、大地の霜のように覆っていました。イスラエルの民はそれを「マナ」と名付けました。そして、このマナはイスラエルの民がカナンの地に入るまで、なんと40年間与えられました。神様は「そのマナの中から正味一オメルを量り、代々にわたって蓄えよ。わたしがあなたたちをエジプトの国から導き出したとき、荒れ野で食べさせたパンを彼らが見ることができるためである」と命じられました(32節) つまり、神様は、荒れ野の40年間、イスラエルの民が食べ物が無くて困った時、このマナを通してイスラエルの民たちを食べさせた、その出来事を覚えさせようとしました。イスラエルの民は、壺に入れたマナを見る度に、荒れ野の40年間、自分たちを支えてくださった、慈しみ深い神様を覚えていくのです。マナの記憶は、神様との関係を豊かにしてくれる根拠になるのです。