2024年11月17日「キリストの日に誇る」

○金 南錫牧師 フィリピの信徒への手紙2章12ー18節

パウロは「こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」と言っています(16節)。キリストの日とは、終わりの日のことです。復活なさって、天に帰られたイエス様がもう一度この世に来られるのですが、そのキリストの日に、パウロはフィリピの信徒たちと一緒に、イエス様の前に出ていくのです。その日のことを思って、パウロは「自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」と言っています。このキリストの日にこそ、フィリピの信徒たちの救いが完成する日であるので、パウロにとって大きな喜びでした。

ですから、パウロは更にこう言っています。「更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、私は喜びます。あなたがた一同と共に喜びます」(17節)。ここでパウロは、自分はもうすぐ殉教することを予感しています。それでも、フィリピの信徒たちが信仰に基づいて、一生懸命礼拝生活をしていることを思うと、喜びがあふれて来る。それがパウロの誇りであり、喜びでした。