○金 南錫牧師 フィリピの信徒への手紙2章6ー11節
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(6-8節)。キリストは神と等しい者でした。それにもかかわらず、神と等しくあることを固執しないで、この世に来てくださったのです。これは、キリストが神であることをやめたというのではなくて、神でありながらも、その神としての権利を放棄されたということです。そして、天から下って来たキリストの歩みは、十字架において極まります。私たちのために、十字架で命をささげてくださいました。神であるお方が、神としての特権を放棄して、徹底的に無力になって、どん底まで下られました。これが、イエス様が私たちに示されたへりくだり、謙遜なのです。神様はどん底まで下られたキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました(9節)。キリストは再び神の栄光を受けられました。そして、すべてのものの主となられ、今、父なる神様の右の座に座しておられ、この世界を治めておられます。