○金 南錫牧師 ルカによる福音書16章19-31節
ある金持ちがいました。彼はいつも紫の衣や柔らかい麻布を着ていて、毎日ぜいたくに遊び暮らしていました。その金持ちの門前には、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていました。やがて、二人は死んでしまいます。しかし、金持ちは死んだ後、降府でさいなまれながらもだえ苦しんでいたのです。一方、ラザロは死んだ後に、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそば、つまり神の許へと連れて行かれたのです。
このように二人の死後の在り方を分けたものは一体何だったのでしょうか。金持ちは、ラザロを自分の家の門前に置いてあけたのですが、それは人に自分の正しさを見せびらかすためでした。本当の意味で悔い改めて、神に立ち返ることができなかったのです。ところが、ラザロは自分の力に頼ることができませんでした。自分は神の恵みによって生かされていることに気付かされていたのです。悔い改めて、心の向きを神に向けて行く人を、神は助けてくださるのです。