2022年9月18日「幸いな人」

○金 南錫牧師   ルカによる福音書6章20-26節

イエス様は山から下りて、平らな所にお立ちになって話されました。イエス様はまず、あなたがたは幸いであると宣言されたのです。そうすると、集まっていた人は皆、「何が幸いなのだろう」と聞き耳を立てたと思います。しかし、「貧しい人々は、幸いである」この言葉は、人間の常識として、すぐには受け入れない言葉です。私たちは皆豊かになることを願います。貧しくならないように努力します。それなのに、イエス様はなぜ「貧しい人々は幸いである」と語ったのでしょうか。

イエス様は、貧しい人たちに「あなたがたは幸いである」と宣言し、その理由として「神の国はあなたがたのものである」と言われました。神の国とは、神が王として支配されることです。私たち人生が神に支配されること、それが神の国です。その神の国が与えられることが、貧しい人、今飢えている人、今泣いている人の幸いであると言っています。では、どうやって、神の国は貧しい人や、今飢えている人、今泣いている人のものになるのでしょうか。それは、神の独り子、イエス・キリストによってです。