2022年2月13日「兄エサウとの再会」

○金 南錫牧師   創世記33章1-20節

 「ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた」(1節)。予告どおり(32:7)、エサウが四百人の者を引き連れて近づいて来ました。この時、ヤコブはエサウが20年前の出来事を今も恨んでいて、自分に仕返ししようとするのではないかと恐れていました。それで、ヤコブは「子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた」とあるように、もしもの場合には、自分が最も愛するラケルとヨセフが助かるようにしました。ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七回も地にひれ伏してお辞儀をしました。エサウはへりくだるヤコブの姿を見ていました。ヤコブが赦しを求めていることを分かったはずです。エサウはヤコブの思いを受け止めます。4節に「エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた」とあります。エサウは思わずヤコブのもとに走り寄っていくのです。そして抱き締めて、涙を流しました。ヤコブはようやく赦してもらえたという思いになれたのではないでしょうか。

 こうしてヤコブとエサウとの間に、和解がもたらされました。ヤコブは兄に自分の妻と子供たちを紹介し、先に送った贈り物のことも、兄の御好意を得るためですと、ありのままを告げます。するとエサウは「弟よ、わたしのところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい」と受け取るのを辞退しようとします。この時、ヤコブはこのように答えています。10節です。「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。」エサウが神様のように見えたというのです。このことは、前日の夜、ヤコブがヤボクの渡しで、祈りの格闘をした時に出会った神の顔が今、兄の顔と重なったことを言っています。つまり、ヤボクの渡しで神の顔を見たヤコブは、自分の過去の一切を赦している兄の顔に、神の顔の照り返しを見たのです。ヤコブは兄の顔を恐れずに、まっすぐに見つめることができました。それは、ヤコブが神の御顔をまっすぐに見つめることができる者となったからです。

 コロサイの信徒への手紙1章19、20節に「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」とあります。神様はイエス・キリストを通して、私たちに神との和解の道を開いてくださいました。私たちキリスト者はイエス・キリストの十字架の贖いを通して、神との和解を受けた者として、この世において、人と人との和解、国と国との和解、平和をもたらす務めに励みたいと願います。