2022年12月25日「万民のための救い」

○金 南錫牧師   ルカによる福音書2章21-38節

シメオンは、信仰があつく、神様の前に正しく生きてきた人でした。また、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいたのです。慰められることは、救われることを意味しています。シメオンは、自分だけが救われることを願うのではなく、神の民イスラエル全体が救われ、慰められることを願い、救い主が到来するのを待ち望んでいました。そして、「主が遣わすメシアに会うまでは、決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」のです(26節)。その日、シメオンは、霊に導かれて神殿の境内に入っていきました。すると、ちょうどその時に、幼子イエスを抱いたヨセフとマリアがやって来たのです。「あの幼子が、イスラエルの民全体のために、神がお遣わしになった救い主、メシアである」。

シメオンは、その幼子の姿を見て、なぜか畏れと清らかな思いに満たされました。そして、幼子を腕に抱き、神をたたえたのです。シメオンは自分が、70年、80年、もっとかもしれませんが、この日のために生きてきたことを確信するようになったのです。この幼子から、シメオンだけではなく、すべての人を照らし、慰める光が満ちてくるのです。