2022年7月31日「巡回して宣教するイエス」

○金 南錫牧師   ルカによる福音書4章38-44節

 シモンの家には、姑がいて、高い熱に苦しんでいました。イエス様が彼女の枕元に立って、熱を叱りつけられると、熱が去り、シモンの姑はすぐに起き上がって一同をもてなしました。シモンの姑が癒された後、「日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た」(40節)。イエス様は休みません。しかも、「その一人一人に手を置いていやされた」のです。夜が明けると、イエス様は人里離れた所へ出て行かれ、祈っておられました。

 イエス様のところに「群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた」(42節)。おそらく、群衆はイエス様の癒しの業を見て、ずっとここにいて、癒しの業を続けてほしいと願ったのでしょう。引き止める群衆にイエス様は言われます。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」イエス様は「わたしはそのために遣わされたのだ」という強い自覚をもって、日常生活を歩んでおられました。このように、私たち一人一人は、今、佐倉教会に遣わされたのだ、という自覚を持っているのでしょうか。