2022年1月30日「ヤコブとラバンの契約」

○金 南錫牧師   創世記31章22-32章1節

 ヤコブに追いついたラバンは、ヤコブに「なぜ、こっそり逃げ出したりして、わたしをだましたのか」と言って、自分を欺いて、こっそり逃げ出したことを責めます。でもラバンは、これ以上、問い詰めることはしませんでした。それは、夕べ、神様が夢に現れて「ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい」とお告げになったからです(24節)。

 しかし、自分の守り神、テラフィムを盗んで逃げたことについては、「父の家が恋しくて去るのなら、去ってもよい。しかし、なぜわたしの守り神を盗んだのか」と言って、ヤコブを非難したわけです(30節)。ヤコブにしてみれば、全く身に覚えのないことなので、ヤコブは「もし、あなたの守り神がだれかのところで見つかれば、その者を生かしてはおきません。我々一同の前で、わたしのところにあなたのものがあるかどうか調べて、取り戻してください」と言って(32節)、ラバンに探させますが、結局、ラバンはテラフィムを見つけることはできませんでした。ラケルがとっさに自分のらくだの鞍の下に隠したからです。

 これを見て、ヤコブは怒って、ラバンに「わたしに何の背反、何の罪があって、わたしの後を追って来られたのですか。あなたはわたしの物を一つ残らず調べられましたが、あなたの家の物が一つでも見つかりましたか。・・・」と言い返しました(36、37節)。ついでに、この二十年間、自分がいかに不当な扱いをされてきたのかについても、切々と訴えました。それが、38節から42節に記されています。このヤコブの訴えを聞いて、ラバンはこう答えています。「この娘たちはわたしの娘だ。この孫たちもわたしの孫だ。この家畜の群れもわたしの群れ、いや、お前の目の前にあるものはみなわたしのものだ。しかし、娘たちや娘たちが産んだ孫たちのために、もはや、手出しをしようとは思わない」(43節)。つまり、ヤコブに害を加えることはしないと言っています。そして、ラバンの方から「さあ、これから、お前とわたしは契約を結ぼうではないか。そして、お前とわたしの間に何か証拠となるものを立てよう」と提案します(44節)。つまり、お互いの間に「境界線」を置いて、お互いに侵入したりすることがないようにしたのです。ヤコブもこの提案を受け入れて、そこに石塚を立て、その傍らで共に食事をしました。共に食事をするというのは、和解のしるしです。こうして、ラバンとヤコブの間にあった問題が解決されることになります。

 私たちも人間関係に悩む場合があります。その時、ご自分と相手との間に、イエス様を置くことが必要です。私たち人間がじかにぶつかる時は、どっちかが相手を支配してしまう関係になるのです。だから、イエス様が間にいらしてくださるなら、それは全く主にある関わりになります。「イエス様、私たちの間にいらしてください」と祈りながら、隣人との良い人間関係を築いていけますように。