2021年7月18日「栄光はただ神に」

○金 南錫牧師 創世記14章17-24節

 アブラムがロトとその財産を取り返して、帰って来たとき、二人の王が出迎えました。その中、サレムの王であり、いと高き神の祭司であったメルキゼデクは、アブラムを祝福して「天地の造り主、いと高き神に、アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された、いと高き神がたたえられますように」と言いました(19、20節)。メルキゼデクは、天地を創造された神の名においてアブラムに祝福を与えました。ところが、その祝福はアブラムがたたえられるのではなく、「敵をあなたの手に渡された、いと高き神がたたえられますように」と語られているのです。つまり、「栄光はただ神に」ということです。

 一方で、アブラムを出迎えたもう一人、ソドムの王はアブラムに「人はわたしにお返しください。しかし、財産はお取りください」と言いました。このソドムの王の提案に対して、アブラムは「あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。それは、『アブラムを裕福にしたのは、このわたしだ』と、あなたに言われたくありません」と言って、戦争に勝って戦利品を受け取る権利を放棄しました。それは、ただ神様の栄光を損ねることがないためでした。アブラムは「わたしは何も要りません・・・」と、神様の栄光だけを願ったのです(24節)。