2021年5月23日「祝福の後に」

○金 南錫牧師 創世記9章18-29節

 「ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った」(20節)。洪水のために何もかもが一変した大地に立ったノアは働き始めました。それも、ぶどう畑を作ったのです。ところが、「あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた」のです(21節)。酔って裸になったのか、裸で酔ってしまったのか、分かりませんが、ノア自身、思わぬ失態を演じてしまったのでしょう。

 ノアの息子の一人、ハムが、裸になっていた父親を見つけます。そして、そのことを外にいた二人の兄弟セムとヤフェトに告げ口をしたのです。そこでセムとヤフェトは、父親の着物を自分たちの肩にかけ、後ろ向きで歩いて近付きました。つまり父親の裸を見ないようにしながら近づいて、父親の裸を着物で覆いました。酔いから醒めたノアは、セムとヤフェトに祝福の言葉を述べますが、ハムの息子であるカナンについては呪いの言葉を述べます(25、26節)。

 ノアが酒により裸になっていた酔態は、601歳が過ぎた晩年の時でした。聖書は、神と共に歩んだノアの晩年の大失敗を記すことをためらいません。では、どうすればよいのでしょうか。それは、聖霊に導かれて、救いの岩なる主イエス・キリストに錨をおろし、主と共に歩むことではないでしょうか。