2021年1月3日「初めに」

○金 南錫牧師 創世記1章1-5節

 存在するすべてのものは、存在を与えられて存在しています。私は何のために生きているのか、なぜ私はこの人生に呼ばれたのか、それは、本当に存在を与えた方に絶え間なく聞くしかないのです。
 「初めに、神は天地を創造された」(1節)。
 この言葉は、私を創造し、私を存在させてくださった方にその意味を問い、この私を存在させてくださった方の意図に添って生きるのが、人生であることを教えています。「初めに、神は天地を創造された」この神の宣言によって始まる世界観を信じる人においては、決して偶然というものや、無意味に存在する者などないのです。
 「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった」(2,3節)。
 すべてのことが混沌の中に呑み込まれる中で、神様は「光あれ」と語ってくださり、そこに意味を与えてくださいました。
 ですから、「光あれ」この言葉は、「私なんか生きる価値がない」と思い込んで、諦めてしまうしかない中で、「あなたは生きる意味があり、存在する価値があり、使命がある」と、神が宣言し、そのような世界を造られたのです。

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