2020年6月21日「主にささげる喜び」

○金 南錫牧師 マルコによる福音書12章41-44節

 41節に「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた」とありますが、これはエルサレム神殿の中の「婦人の庭」というところで、そこには十三の賽銭箱がありました。そこに大勢の金持ちがたくさんの献金を入れました。ところが、42節に「一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚」を入れました。
 レプトン銅貨は、当時最も小さな貨幣価値の青銅貨でした。朝から晩まで、大勢の人がやって来て、お金を投げ入れる場所ですから、この貧しいやもめが、わずかな献金をしたことを気に留める人は、そこにはいませんでした。
 でも、イエス様は彼女のことを見ておられました。やもめがどんな思いで献金をしているのか、見ておられたのです。そして、弟子たちを呼び寄せてこう言われました。
 「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」(43、44節)。
 レプトン銅貨二枚というわずかな献金が、イエス様の眼差しを通して、限りなく価値あるものに変えられていたのです。
 では、イエス様はこのやもめの何をご覧になって、「だれよりもたくさん入れた」とおっしゃったのでしょうか。神様に対する思い、神様に対する信頼がだれよりもたくさんあることを、イエス様は受け止めておられたのです。