2020年5月24日「神のものは神に」

○金 南錫牧師 マルコによる福音書12章13-17節

 祭司長、律法学者たちは、ファリサイ派やヘロデ派の人たちをイエス様のもとに送り、言葉じりをとらえて陥れようとしました(13節)。
 イエス様のもとに来た彼らは、イエス様のことを「真実な方、人を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えている方」と表現しました。でも彼らは口ではそう言いながら、決してその通りに信じてはいませんでした。
彼らはイエス様に、当時ユダヤを統治していたローマ皇帝に「税金を納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」を尋ねてきました(14節)。
 ここで「納めるべきだ」と答えれば、人々の支持を失います。また、「納めなくていい」と言えば、ローマ帝国に反逆する者と見なされます。彼らは、どちらに答えても、イエス様を失脚させることができると考えていました。
 イエス様はそのような彼らの偽善を見抜かれて、「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい」と言われました(15節)。そして、彼らがそれを持って来ると、イエス様は、「これは、だれの肖像と銘か」と言われ、彼らは「皇帝のものです」と答えました(16節)。
 当時、デナリオン銀貨には皇帝の顔が刻まれていて、神の子カイザル(皇帝)という、その皇帝の名前が記されていました。即ち、イエス様は現に使っているデナリオン銀貨を見せながら、ローマ皇帝の肖像と銘が書いてあることを示し、「皇帝のものは皇帝に返しなさい」と答えられたのです(17節)。
 「皇帝のものは皇帝に」ということで、この世の権力者に対して、私たちがどうあるべきかも示しておられます。自分たちは神に従うから、この世の法律や決められたことには従わないというのではなく、この世の権力者の役割を理解し、彼らのために祈り、協力する必要があります。同時に、クリスチャンとして、全能の父なる神に従っていく使命があります。
 今、私たちは新型コロナウイルスの世界的な危機にさらされています。感染の怖さだけでなく、経済への打撃も深刻です。感染を食い止めるために経済活動を自粛すれば、感染による死者が抑えられても、経済的な破綻によって自殺者が増える、というニュースも見ました。
 こんな状況の中で、この世の権力者の役割はとても大きくなっています。私たちは彼らが正しい判断をできるように祈り、彼らの指示に協力する必要があります。でも同時に、権力者に対して、彼らが正しい判断をしているかを見張る使命があります。
 イエス様が「皇帝のものは皇帝に」と言われたとき、デナリオン銀貨の肖像が誰かを質問されました。この「肖像」という言葉は、創世記1章26、27節にも出てくる言葉です。神は人間をご自分の「像」に似せて創造されました。即ち、私たちは、神のかたちに似せて創造された者です。
 皇帝の肖像が刻まれているデナリオン銀貨が「皇帝のもの」と言われるように、神のかたちに似せて創造された私たちは、「神のもの」なのです。ですから、「神のものは神に返しなさい」と言われているように、神のものである私という存在をいつも神に返し、ささげていくのです。
 具体的に、私たち一人一人が、クリスチャンとして、できることがあるはずです。今主日礼拝に集まらないことも、家族や友人、隣人のためにできることだし、今は会えない寂しさも私たちの払う犠牲だと思います。一人一人、それぞれの場所で、自分自身を神に返す新しい一週間を始めましょう。