2020年4月5日「私たちの賛美を回復される神」

○金 南錫牧師 詩編51編12-17節

 「御救いの喜びを再びわたしに味わわせ、自由の霊によって支えてください」と祈り求めたダビデは、「主よ、私の唇を開いてください」と祈ったのです(17節)。
 これは、裏を返せば、いつか自分が罪の中にいたとき、唇が開かず、苦しんでいたことを表しています。罪の中にいるとき、唇が閉じて、祈りが消えてなくなります。
 次に、賛美が消えているのです。このとき、クリスチャンは霊的にうめきます。神様との関係が閉じられてしまったからです。ダビデは耐えられませんでした。そして、「主よ、私の唇を開いてください」と祈ったのです。
 16節に、「神よ、私の救いの神よ。流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業を、この舌は喜び歌います」とあります。
 ここで、「流血の災い」とは、ダビデがバト・シェバの夫であるウリヤを激しい戦いの最前線に出し、戦死させた、殺人の罪を指しています。その流血の災いから、私を救い出してくださいというのは、その殺人の罪から自分を救い出してください、ということです。
 また、「恵みの御業」とは、犯した罪を悔い改める人に対する、神様の赦しと救いの御業です。そして、「喜び歌います」ということは、すべての力を尽くして、賛美することです。
 クリスチャンはうれしいときだけでなく、悲しみの中にあるときも、その賛美から離れてはなりません。なぜなら、神様は人生の真夜中にあっても、賛美を与え、賛美するように、導いてくださるお方だからです。
 2020年度が始まりました。それぞれ置かれた場所で、ダビデのように祈り、賛美を回復し、私たちの唇から、賛美が離れることがないように祈り願います。私たちの人生の目的は、何かを成し遂げるためではなく、神様を賛美することにあります。