2020年1月5日「主のあわれみに生かされて」

○金 南錫牧師 マルコによる福音書8章1-10節

 1節に「そのころ、また群衆が大勢いて、何も食べる物がなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた」とあります。これは、7章31節の「それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた」、「そのころ」のことです。
 イエス様は、テカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖の東側にやって来られました。ユダヤからすると、異邦の地方に当たります。このことは、イエス様の救いがユダヤ人だけではなく、異邦人にまで広がっていくことを指し示しています。イエス様は、すべての人が救いに招かれていることを教えております。
 2節、3節に「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる」とあります。
 「かわいそうだ」という言葉は、ギリシア語では「内臓が痛むほど憐れむ」ことです。イエス様は群衆を飢えたまま、帰らせることに対して、ご自分の内臓が痛くなるほど、憐れんでくださったのです。
 私たちはこの世に生きる限り、様々な苦しみを味わい、経験するのです。しかし、その苦しい経験の深まるところで、思いもかけなかった主の憐れみを味わうことができるのです。クリスチャンは主の憐みによって生かされていく者です。