2020年12月27日「御子イエスの成長」

○金 南錫牧師 ルカによる福音書2章40-52節

 イエスの誕生物語のほかに、救い主として公の活動を始める前の間にある記事は、今日の聖書箇所の十二歳の時の記事だけとなっています。
 イエス様の家族は、ガリラヤのナザレという小さな村に住んでおりました。毎年、春には家族みんなで、エルサレムに向かい、過越の祭りを祝って帰って来たのです。
 祭りが終わり、ナザレへと帰路に着いたとき、十二歳の少年イエスが、両親とはぐれてしまいました。三日もたち、やっとの思いで、神殿の境内にいる少年イエスを見つけた両親に向かって、イエス様は言われました。
 「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」(49節)。
 両親はこの少年イエスの言葉の意味を分かりませんでした。しかし、母マリアは「これらのことをすべて心に納めていた」のです(51節)。
 今年一年の歩みは、どうだったのでしょうか。思いもよらない出来事に振り回され、未だに何の意味も見出せない、分からないことがたくさんあると思います。
 でも、マリアのようにそのすべてのことを「心に納めている」ことで、いつか時が来たときに、「そういうことだったのか」と納得することがあるでしょう。