2019年10月6日「信仰とつまずき」

○金 南錫牧師 マルコによる福音書6章1-6a節

 イエス様はカファルナウムを去って、故郷に来られましたが、故郷のナザレではイエス様は受け入れられませんでした。4節に「イエスは、『預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである』と言われた。」とある通りです。
 ナザレの人たちは「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。」というふうに、イエス様に対する驚きや好奇心がありました。ところが、それ以上のことを求めませんでした。ですから、イエス様への信仰にはつながりませんでした。これは、ナザレの地にある悲劇です。
 また、ナザレの人々は「この人は、大工ではないか」という先入観にとらわれてしまって、イエス様から神の言葉を聞くことができませんでした。イエス様はそのナザレにおいては「ごくわずかの病人を癒しただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった」のです。すなわち、信仰抜きには何も起こらない、ということです。