2019年9月29日「タリタ、クム」

○金 南錫牧師 マルコによる福音書5章21-43節

 当時のイスラエルの社会では、出血をしている女性は汚れものとされ、他人との接触が禁じられていました。十二年間も出血の止まらない女は、十二年間も、そのような生活を強いられていたのです。彼女は、イエス様がお通りになると聞いて、「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思って、藁をもつかむ思いで、群衆の中に紛れ込み、イエス様の服に後ろから触れたのです。
 すると、「すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた」のです。イエス様は、自分の内から力が出て行ったことを気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われました。つまり、イエス様は、彼女のすべてのことをご存じの上で、この女が後ろからではなく、真っ正面から、主イエスと出会う機会を与えようとして、足をとどめられたのです。
 癒されたその女はあまりにも驚いて、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話しました。イエス様は彼女の告白に対して、こう言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」。
 イエス様は、彼女の藁をもつかむ信仰をそのままに、救いに値する信仰と受け入れてくださったのです。そして、「安心して行きなさい」と再び祝福をもって派遣してくださったのです。