2019年6月9日「後で、分かる」

○金 南錫牧師
 ヨハネによる福音書13章1-16節

 私たちには、あのときは分からなかったけど、後になって分かることがあります。弟子たちにとって、自分たちの師であるイエス様が足を洗ってくださることは、思ってもみなかったことでした。弟子たちは、このことの意味が分からなかったのです。そのとき、イエス様は「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と仰いました(7節)。
 生きている中、理解できない、受け入れがたい現実があります。しかしそれは、今は理解できない、受け入れがたいものなのであって、必ず理解できるときが来る。イエス様はそう教えているのです。
 なぜでしょうか。それは、すべてをご存じの神が共におられるからです。私たちが経験する出来事の一つ一つは、無意味なものでも、不条理なものでもありません。それも神が与えた出来事と考えられるときに、今はその意味が分からないけれども、それでも自分の人生を受け入れて生きて行くことができるようになるはずです。
 私たちは信仰をもって、人生のすべてをご存じの神を信頼して生きていきたいものです。

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