2019年3月17日「ローマに着いたパウロ」

○金 南錫牧師
(使徒言行録28章1-16節)

 パウロが一緒に船に乗り合わせた人々に「元気を出しなさい。わたしは神を信じます。私たちは必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」と励ました通りに(27:26)、船はマルタという小さな島に漂着しました。島の住民はすぐに火をたいて、濡れた体を乾かし、暖めることができるようにしてくれました。そのとき、パウロが集めた一束の枯れ枝をたき火にくべました。すると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、パウロの手に絡みついたのです。

 島の人々は「この人はきっと人殺しに違いない」(4節)と言い合い、「正義の女神」が蝮によって罰を与えたのだと判断したのです。彼らはパウロの身体が膨れ上がるか、急に倒れて死ぬか、としばらく様子を伺っても、パウロの身体には何の変化も起こりませんでした。

 それで島の人々は考えを変え、今度「この人は神だ」と言い出したのです。島の人々は良いことが起きればそれは神のお陰であり、悪いことが起きればそれは神様の罰であると信じました。

 それに対して、パウロたちは思いがけない暴風に遭って、マルタ島に流れ着いたのですが、島の人たちとよい関係を築き上げました。ですから、「彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた」のです(10節)。

 ローマ書8章28節に「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」とあります。人生の回り道のときに、私たちはそれを無駄だと思いがちですが、そういうときこそ、万事が益となるように、働いてくださる神に委ねていく信仰が必要です。

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