2019年5月19日「イエスの祈り」

○金 南錫牧師
 マルコによる福音書1章29-39節

 シモンとアンドレは主イエスから「わたしについて来なさい」と声を掛けられ、二人は網を捨てて従い、主イエスの弟子になりました。しかし、シモンは生活の手段である漁師の網を捨てて従いましたが、家族を捨てたわけではありませんでした。
 ある日、シモンの姑が熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話したのです。そして、主イエスがシモンの姑のそばに行って、手を取って起こされると、熱が去りました(31節)。シモンの姑はいやされると、起き上がって、主イエスをもてなして、感謝を表しました。まさにイエス様は、世の主であると同時に、わが家の主でもあります。
 35節に「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈られた」とあります。忙しい生活をしている現代人にとっては、夜明けに起きて、祈ることは本当に難しいものです。ところが、イエス様は人に教え、悪霊を追い払い、病を癒すということで、忙しくて疲れていたにもかかわらず、夜明けに祈られたのです。なぜでしょうか。
 イエス様には、この世に来られた明確な目的がありました。39節に「そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された」とある通りです。
 イエス様がこの地に来られた目的どおりに生きることができたのは、日々の初めに、朝早くまだ暗いうちに、ひざまずいて祈り続けたからです。本当に祈りをもって、一日を始めたいものです。

 

花の日合同礼拝のご案内

 6月9日(日)は、花の日合同礼拝を守ります。
 礼拝後、教会学校では、お花を持って警察署、消防署、老人福祉施設を慰問します。
 また、教会員もお花を持って日頃礼拝に出席できない方々を訪問します。

2019年5月12日「権威ある新しい教え」

○金 南錫牧師
 マルコによる福音書1章21-28節

 主イエスと4人の弟子たちはカファルナウムという町で、安息日に会堂に入りました。そこで、主イエスは教え始められました。そのとき、人々はその教えに権威を感じられ、非常に驚いたのです。
 当時、律法学者たちは律法の中心にある神の御心よりも、律法そのものを厳しく守ろうとしたのです。しかし、主イエスは律法そのものよりも、律法の根底にあるものを教えたので、人々に驚きを与えたのです。
 主イエスが権威ある者として教えているとき、会堂に汚れた霊に取りつかれた男が「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と叫び出したのです。
 主イエスはこの汚れた霊に対して、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになりますと、汚れた霊は、その人にけいれんを起こさせ、大声を上げて出て行ったのです。人々は皆驚いて、主イエスのなさったことを「権威ある新しい教えだ」と言っています。
 私たちが主イエスの権威ある新しい教えの光に照らし出されるとき、主の御心がどこにあるのか、分かります。また、その御心に従うことによって、私たちは信仰が強められ、成長していくのです。

2019年5月5日「わたしについて来なさい」

○金 南錫牧師
 マルコによる福音書1章16-20節

 あるとき、イエス様はガリラヤ湖のほとりを歩いていました。そこには、シモンとシモンの兄弟アンデレがいつものように、網を湖に向かって打っていたのです。
 イエス様はその姿をじっとご覧になって、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と声をかけます。最初に声をかけたのは、イエス様でした。ペトロとアンデレは魚をとることに、力と時間を費やしています。イエス様のことに興味を持っていなかったのです。
 しかし、イエス様はそのような人々を呼び求められたのです。人間に対する主イエスの呼びかけがすべてに先行しているのです。主イエスの眼差しが先立っています。
 イエス様の呼びかけに、二人はすぐに網を捨てて従いました(18節)。イエス様に従うことは、イエス様と同じ生き方をすることです。従って、そこには、人生を自分で決めた目的のためにではなく、神の業のために働く生き方がもたらされるのです。本日の言葉で言えば、「人間をとる漁師になる」ことです。ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ。この四人は魚をとるのではなく、今までしたことのない新しい働きを始めたのです。それは、神の国のことを伝えることでした。
 イエス様に従うことは、自分のできる得意なことをイエス様と一緒に続けていくことでもありますが、それよりも、できるかどうか心配だけれども、とても大事なこと、神様が喜ばれることをしてみよう、ということではないかと思います。

 

婦人会公開講座「長崎天草の世界文化遺産から学ぶ」のご案内

 婦人会では、下記のとおり中村師による公開講座を開くこととしています。
 中村師が自ら現地を回った体験に基づく講演です。
 皆様のご参加をお待ちしています。
   記
 日時 6月16日(日)12時30分~
 場所 佐倉教会二階集会室
 講師 中村光夫師
 演題 「長崎天草の世界文化遺産から学ぶ」

2019年5月6日 さつまいもの苗を植える会

 10連休の最終日、好天に恵まれ、雨で順延となっていた、教会学校主催「さつまいもの苗を植える会」を開きました。
 17人と1匹が参加し、五月の薫風の中、畝をつくり、苗を植え付けました。
 秋の収穫が楽しみです。

作業姿がとても板についています
6年生三人組は作業したり、野球したり、元気にあふれています
作業をし、昼食をとり、ハイチーズ

2019年5月の主日聖書日課から

○ルカによる福音書 24章38節~40節
 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。
 
○ヨハネによる福音書 06章34節~35節
 そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。

○申命記 07章06節~08節
 あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。
 
○ヨハネによる福音書 15章12節~13節
 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
 
○ダニエル書 06章22節~23節
 ダニエルは王に答えた。「王様がとこしえまでも生き永らえられますように。神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしはなんの危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございません。」

 出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2019」(日本キリスト教団出版局、2018年12月1日発行)より作成

2019年4月28日「時が満ち」

○金 南錫牧師
 マルコによる福音書1章12-15節

 イエス様は「時が満ち、神の国は近づいた」と語っています(15節)。
 これは「もう神の国が来た」と解釈しても構いません。神の国がもう私たちのうちに来たのです。だから「もう大丈夫だよ。安心しなさい」。これが、イエス様が最初に語ったメッセージです。イエス様はこの福音を御自分の生活と活動の場であったガリラヤで宣べ続けたのです。
 では、この福音を聞いて、イエス様に従った人はどんな人であったのでしょうか。ガリラヤは肥沃ですから、どの時代のどの支配者にとっても重要な収入源でした。なので、ガリラヤのユダヤ人たちは二重、三重の支配構造による生産物の収奪、即ち、重税の対象になりました。
 このような負債に喘ぐ貧しい人が、ガリラヤの人口の9割を占めていたのです。こういう状況の中、時が満ち、イエス様が登場しました。そして、「貧しい人は幸いである。悲しむ人は幸いである」という神の国、神の御支配のメッセージを宣べ伝えた時、当然ながら、ガリラヤの貧しい群衆たちは喜んでいたのではないでしょうか。

2019年4月21日「終わりからはじまりへ」

○金 南錫牧師
 マルコによる福音書16章1-8節

 金曜日の午後3時に、イエス様が十字架上で、息を引き取られました。そして、午後6時までのわずかの時間に、アリマタヤのヨセフがイエス様の遺体を引き取り、墓に納めました。1節に「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りにいくために香料を買った」とあります。
 イエス様のご遺体を十分に処置する時間がなかったため、この女性たちはもう一度イエス様の墓の中に入って、香料を塗って差し上げようとしました。ですから、この三人の女性は土曜日の安息日が終わるとすぐに、香料を買い求め、「主の初めの日」即ち、日曜日の早朝、すぐにイエスの墓に出かけました。
 天使である若者が彼女たちに「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。…あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる」と告げます(6節)。
 弟子たちにとって、ガリラヤはイエスに出会い、共に宣教活動がなされたところでした。墓という人生の終わりからもう一回あなたの人生のスタートの場所、つまり原点に立ち返るように、神様は復活されたイエスを通して招いてくださるのです。

2019年4月21日 イースター礼拝・祝会

 主イエス・キリストの復活を祝うイースターを迎えました。大勢の兄弟姉妹が出席する中で、洗礼式、信仰告白式が行われました。
 礼拝後は、イースターのお祝いの会が開かれました。

イースター礼拝において洗礼式、信仰告白式が行われました
 共に食事し、賛美し、楽しいお祝いのときとなりました