2019年12月25日 子どもクリスマス会

 午後1時半より子どもクリスマス会を行いました。
 前半は降誕ページェントとお話、後半はケーキをいただきながら、ゲーム、賛美によってお祝いをしました。

子どもたちへのクリスマスメッセージです

 

子どもたちがゲームの司会をしました

2019年12月22日 クリスマス祝会

 クリスマス合同礼拝を守った後、2階集会室にてお祝いの会を行いました。
 たくさんのおいしい料理を準備してくださった婦人会そのほかの皆様、ありがとうございました。

祝会のごちそうおいしくいただきました

 

婦人会の皆さんによるクリスマス賛美です

2019年12月22日「クリスマスの困惑」

○金 南錫牧師 マタイによる福音書1章18節-2章3節

 クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う最も喜ばしい時です。しかし、どうでしょうか。私たちが生活している現代の社会は、愛と平和、希望に満ちているのでしょうか。
 今年も、悲しい出来事が日本中、世界中で数々ありました。実に、聖書におけるイエス様の誕生も、喜びの中で迎えられたのではなく、とんでもない不安と困惑の中で受け止められたことを語っています。
 ヘロデ王はユダヤに新しい王が誕生したしるしである星を見て、その王を拝むためにユダヤにやってきたという東方の学者たちのことを耳にして、大きな不安に襲われました。そして、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を一人残らず殺させたのです。
 しかし、ヨセフはどうだったのでしょうか。婚約者マリアの妊娠を知ったとき、ヨセフはがく然とし、不安と困惑に襲われたに違いありません。ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心したのです。
 ところが、ヨセフは夢を見ました。夢の中で、主の天使により、神の御言葉を聞いたのです。そして、ヨセフは神の御言葉を信じ、妻マリアを御言葉通り受け入れることによって、ヨセフもクリスマスを担う一人となったのです。

2019年12月15日「開け」

○金 南錫牧師 マルコ7章31-37節

 イエス様が遠回りされてから、ガリラヤ湖へ行かれた時、人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に「手を置いてくださるように」と願いました(32節)。
 障がいのある人は、自ら進んでイエス様のもとにやってきたのではありません。周りの人々が連れて来たのです。もうこれ以上、良くなることもないという諦めが彼の生活を作り上げていたかもしれません。
 「そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われた。これは、『開け』という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった」(33-35節)。
 一人の障害を負った人は「開け」という意味の「エッファタ」という強烈な一言によって、耳が開かれ、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになったのです。
 クリスチャンは、信仰の耳が開かれて、神の御言葉に聞き従う者です。様々な悩みや悲しみ、苦しみや辛さに出会うその時、イエス様は十字架という苦しみを通して、私たちにすばらしい道を指し示してくださるのです。
 聖書の御言葉を聞く耳が開かれた者として、「喜びは主のうちに」その生き方を、共に歩んでみませんか。

2019年12月8日「小犬とパンくず」

○金 南錫牧師 マルコ7章24-30節

 汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ母親がイエス様のことに聞き付けて、主の足もとにひれ伏しました。そして、娘から悪霊を追い出してくださいと叫びました。この母親は祈る母でした。
 この母親の叫びに対して、イエス様は「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」と言われます(27節)。
 「子共たち」というのはユダヤ人のことです。「小犬」というのはユダヤ人以外の異邦人を意味しています。このとき、イエス様はユダヤ人の救いのみに向かっていますから、異邦人の女性が来ても、すぐ受け止めなかったのです。
 しかし、この母親は落胆しませんでした。彼女の信仰の素晴らしさは、イエス様の御言葉から諦めずに、「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」と答えたことでありました。「パン屑」はキリストの福音のことです。
 この母親の訴えを聞いたイエス様は、「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい」と言われ、家に帰ってみると、悪霊に取りつかれた娘の病気がいやされていました。

2019年12月1日「口先と心」

○金 南錫牧師 マルコ7章1-23節

 ユダヤ人が外の汚れから身を清めることに懸命であったのに対し、イエス様は人を汚す汚れは私たちの内にある、心にあると指摘されたのです。
 また、イエス様は「人間の心から、悪い思いが出てくるからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」と言われます(21-23節)。
 ここで、人間の心から出てくる悪い思いを自分に当てはめてみると、どうでしょうか。どれも私たちの罪の心から出てくる悪です。イエス様はここで、人間はみな罪人なのだと宣言されたのです。聖書は、すべての者は罪を犯していると言っています。
 しかし、それで失望するのではなく、そのような私たちであるからこそ、テサロニケの信徒への手紙一4章7節に「神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです」と言ってくださっているのです。私たちは聖なる生活のために、日々自分の罪を認め、悔い改めなければなりません。

2019年クリスマス諸行事のご案内

 佐倉教会では、次のとおりクリスマスの諸行事を行います。
 親しい方々と共に、教会でクリスマスを迎えましょう。

☆クリスマス合同礼拝/お祝いの会
 12/22(日) 10:30-12:00/12:30~14:00
☆クリスマスイブ礼拝
 12/24(月) 17:00-18:00
☆子どもクリスマス会
 12/25(火) 13:30-15:00

2019年12月の主日聖書日課から

○イザヤ書 52章07節~10節
 いかに美しいことか
 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
 彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
 救いを告げ
 あなたの神は王となられた、と
 シオンに向かって呼ばわる。
 その声に、あなたの見張りは声をあげ
 皆共に、喜び歌う。
 彼らは目の当たりに見る
 主がシオンに帰られるのを。
 歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。
 主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。
 主は聖なる御腕の力を
 国々の民の目にあらわにされた。
 地の果てまで、すべての人が
 わたしたちの神の救いを仰ぐ。

○ヨハネによる福音書 07章28節~31節
 すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。しかし、群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」と言った。
 
○ヨハネによる福音書 05章37節~40節
 また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。
 
○マラキ書 03章19節~20節
 見よ、その日が来る
 炉のように燃える日が。
 高慢な者、悪を行う者は
 すべてわらのようになる。
 到来するその日は、と万軍の主は言われる。
 彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
 しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
 義の太陽が昇る。
 その翼にはいやす力がある。
 あなたたちは牛舎の子牛のように
 躍り出て跳び回る。

○ヨハネによる福音書 01章25節~27節
 彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」

○ゼカリヤ書 02章14節~15節
 娘シオンよ、声をあげて喜べ。
 わたしは来て
 あなたのただ中に住まう、と主は言われる。
 その日、多くの国々は主に帰依して
 わたしの民となり
 わたしはあなたのただ中に住まう。
 こうして、あなたは万軍の主がわたしを
 あなたに遣わされたことを知るようになる。
 
○ルカによる福音書 02章04節~15節
 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 「いと高きところには栄光、神にあれ、
 地には平和、御心に適う人にあれ。」
 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
 
○ヨハネによる福音書 01章01節~04節
 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

○マタイによる福音書 02章09節~11節
 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
 
出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2019」(日本キリスト教団出版局、2018年12月1日発行)より作成

2019年11月24日 教会創立記念礼拝

 佐倉教会の創立は、1904年11月27日。
 今年は、創立から数えて115周年となりました。
 毎年、11月第4週の主日において教会創立を記念する礼拝を守ります。
 また、教会創立記念礼拝では、あわせて信仰生活50周年の節目を迎えた兄弟姉妹のために特に祝福をお祈りしています。

信仰生活50周年を迎えた兄弟姉妹の祝福を祈ります