2021年1月3日「初めに」

○金 南錫牧師 創世記1章1-5節

 存在するすべてのものは、存在を与えられて存在しています。私は何のために生きているのか、なぜ私はこの人生に呼ばれたのか、それは、本当に存在を与えた方に絶え間なく聞くしかないのです。
 「初めに、神は天地を創造された」(1節)。
 この言葉は、私を創造し、私を存在させてくださった方にその意味を問い、この私を存在させてくださった方の意図に添って生きるのが、人生であることを教えています。「初めに、神は天地を創造された」この神の宣言によって始まる世界観を信じる人においては、決して偶然というものや、無意味に存在する者などないのです。
 「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった」(2,3節)。
 すべてのことが混沌の中に呑み込まれる中で、神様は「光あれ」と語ってくださり、そこに意味を与えてくださいました。
 ですから、「光あれ」この言葉は、「私なんか生きる価値がない」と思い込んで、諦めてしまうしかない中で、「あなたは生きる意味があり、存在する価値があり、使命がある」と、神が宣言し、そのような世界を造られたのです。

2020年12月27日「御子イエスの成長」

○金 南錫牧師 ルカによる福音書2章40-52節

 イエスの誕生物語のほかに、救い主として公の活動を始める前の間にある記事は、今日の聖書箇所の十二歳の時の記事だけとなっています。
 イエス様の家族は、ガリラヤのナザレという小さな村に住んでおりました。毎年、春には家族みんなで、エルサレムに向かい、過越の祭りを祝って帰って来たのです。
 祭りが終わり、ナザレへと帰路に着いたとき、十二歳の少年イエスが、両親とはぐれてしまいました。三日もたち、やっとの思いで、神殿の境内にいる少年イエスを見つけた両親に向かって、イエス様は言われました。
 「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」(49節)。
 両親はこの少年イエスの言葉の意味を分かりませんでした。しかし、母マリアは「これらのことをすべて心に納めていた」のです(51節)。
 今年一年の歩みは、どうだったのでしょうか。思いもよらない出来事に振り回され、未だに何の意味も見出せない、分からないことがたくさんあると思います。
 でも、マリアのようにそのすべてのことを「心に納めている」ことで、いつか時が来たときに、「そういうことだったのか」と納得することがあるでしょう。

2021年1月の主日聖書日課から

1月3日
○エレミヤ書 31章15-17節
 主はこう言われる。ラマで声が聞こえる
 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む
 息子たちはもういないのだから。
 主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。
 あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。
 
○マタイによる福音書 2章13-15節
 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

1月10日
○サムエル記上 16章10-13a節
 エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。
 
○マタイによる福音書 3章13-17節
 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

1月17日
○エゼキエル書 3章1-4節
 彼はわたしに言われた。「人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい。」わたしが口を開くと、主はこの巻物をわたしに食べさせて、主はわたしに言われた。「人の子よ、イスラエルの家に行き、わたしの言葉を彼らに語りなさい。
 
○マタイによる福音書 4章18-22節
 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。

1月24日
○イザヤ書 8章23b-9章3節
 先に
 ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが
 後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた
 異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。
 闇の中を歩む民は、大いなる光を見
 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
 あなたは深い喜びと
 大きな楽しみをお与えになり
 人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように
 戦利品を分け合って楽しむように。
 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を
 あなたはミディアンの日のように
 折ってくださった。

○マタイによる福音書 4章12-17節
 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
 「ゼブルンの地とナフタリの地、
 湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
 異邦人のガリラヤ、
 暗闇に住む民は大きな光を見、
 死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

1月31日
○イザヤ書 30章18-19節
 それゆえ、主は恵みを与えようとして
   あなたたちを待ち
 それゆえ、主は憐れみを与えようとして
   立ち上がられる。
 まことに、主は正義の神。
 なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。
 まことに、シオンの民、エルサレムに住む者よ
 もはや泣くことはない。
 主はあなたの呼ぶ声に答えて
 必ず恵みを与えられる。
 主がそれを聞いて、直ちに答えてくださる。
 
○マタイによる福音書 5章17-20節
 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」

出所:聖書日課編集委員会編集「日毎の糧2021」(日本キリスト教団出版局、2020年12月25日発行)より作成

兄弟姉妹の近況報告 H兄 満面の笑顔が戻る

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:AA)

 父は十一月二十八日に九十一歳になりました。
 三月より三か月間入院しておりましたが、コロナ禍で面会謝絶でした。そのために記憶も言葉も失い、すっかりうつろな表情になり、以前の元気な姿が消えてしまいました。私たちは胸を痛め、金先生や皆様にお祈りをお願いしてまいりました。
 ですがどうでしょう。今では満面の笑顔が戻り、会話もできるように回復しました。秋にはひ孫も授かり喜ぶことができました。
 神様の不思議な力を実感しております。皆様のお祈りを心より感謝いたします。

兄弟姉妹の近況報告 N兄 神様の御手に委ねて

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:YK)

 父は二年ほど前に脱水症状が出て、三か月ほど入院しました。その間に歩行困難になり、経口摂取ができなくなりました。病院の医師から「自宅での生活は絶対に無理です。退院許可は出せません」と何度も言われました。自宅に戻りたいという本人の強い希望もあり、訪問診療所の先生と介護施設の方々の支援の下、何とか退院が可能な状態になり、自宅に戻ることができました。
 退院後は肺炎やインフルエンザにかかり、回復するどころか衰える一方でした。急な機能の衰えを受け入れることができずに悲しい気持ちになり、焦ることも多かったです。
 退院から一年くらいたった頃、人の生死は神の御手の下にあり、その中で生かされているのだということを謙虚に受け止めることができるようになり、少しずつ心が落ち着くように変わってきました。神様の御手に父と自分を委ね、神様が決めてくださった地上での歩みが続くときまで父と穏やかに生活することができますよう祈っていきたいと思っています。
 金牧師と教会員の方々の祈りや励ましに、心より感謝しています。日々の心の支えにさせていただいています。本当にありがとうございます。

随想 悪筆は「宮本武蔵」のせい

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:YH)

 父の蔵書の中に、吉川英治氏による『宮本武蔵』の初版本(全六巻)があり、平仮名を覚えた小学校低学年の頃から読み始め(全ての漢字にフリガナが付いていたので、子供でも読めた)、お通とのすれ違いが繰り返される物語が、まさに「君の名は(一九五四年から始まったNHKのラジオ連続放送劇で、これが始まる頃には、銭湯から客が居なくなった)」の様に堂々巡り(子供の感覚では三歩進んで四歩下がる)であったのにいささか立腹したものの、全体的なストーリーが面白かったもので、何度も何度も繰り返して読みました。結果、漢字を「(出来上がった)形」で覚えてしまうことに至り、当然のことながら肝心な筆順を学ぶことはできませんでした。
 小学校の国語の授業で先生が漢字を教えるときに、正しい筆順も黒板に書いてくれましたが、既に多くの漢字は覚えていたため(但し、旧漢字ではあったが)、「そんな漢字はもう知ってるので、別のことしよう」って考え、机の下で版画を彫っていたら、ノミが滑って左手人差し指の根本を切って大出血となり、すぐに近くの医院で三針ほど縫ってもらったりしたこともありました。でも、お陰で国語の成績はいつも良好でした(漢字の試験では形ができていればOKで、筆順はチェックされない)。
 しかしながら、中学生になった頃から「他の同級生たちと比べ、俺の字は汚いなぁ、何故なんだろう」って思い始めた頃、同級生から筆順の違いを指摘され、教えられたとおりに書くと奇麗な字になることに気づいたものの、「膨大な数に上る漢字の筆順を覚え直すのは大変だし、俺の字は汚いけど誰でも読めるが、達筆の人が書いた字は読みにくい。したがって、コミュニケーションのツールとしては、俺の字の方が勝っている」と都合よく考え、改めて筆順を学び直すことはやめました。
 でも、社会人となり、上司に年賀状を出したら、小学生の子供さんから返事が来たりで、いささか情けない思いをしたこともありましたけれども、そのうちにOA化が始まって職場のみならず家庭にもワープロやPCが鎮座する環境となり、誰が文章を作成しても「奇麗に整った文字」で書かれるようになり、私にとっては素晴らしい環境となりました。
 ところが、慶弔の場では自署を求められることが多く、つい、前後に書かれた他の方々の自署を見て、「ありゃ、皆さん上手だなぁ。俺、書きたくないなぁ。子供の頃、キチッと勉強しておけば良かったなぁ」と、今頃になって後悔しています。
 聖書を見ると、全ての漢字にフリガナが付されていますから、もしかしたら私のように漢字をいきなり「形」で覚えてしまう子供が出現するかも知れません。聖書が誰にでも親しく読まれるよう、漢字にフリガナを付すのも良し悪し(善し悪し)です。
 天なる主、御子であられるイエス様、決して聖書を非難している訳ではないことを理解され、お赦しください。

祖父の回想を読んで 伝えたかった「神意」

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:HT)

 私の祖父は、一八七二(明治五)年三月、新潟県高田市で生まれました。日清、日露戦争の時代、軍人として艦船に乗っていました。退官後は、「日本移民協会」という会を設立し、大正中期より昭和初期まで従事しました。
 祖父は、キリスト教と出会い、中学三年のとき、同級生の親友六人とともに受洗していました。教会と女学校の創立を記念してとのことだったそうです。どちらの教会と学校なのか、定かではありません。男尊女卑の時代、当時としては大変なことだったのでしょう。

 日本移民協会の創立

 その後、海軍兵学校を終えて、日清戦争の真ん中に艦船上の人として出発。二十三年後、現役を退き、海軍生活を終えました。
 退官後は、尊敬する義兄とともに「日本移民協会」という会を創立しました。第一次世界大戦も終末期で、「人種平等、平和維持、世界の資源の公平」等を基軸とし、国の過ちを正し、差別のない世界の実現を願い、立ち上げた協会と記されていました。
 移民協会の働きが徐々に理解されるようになってきた頃に発生したのが「満州事変」です。祖父は言っています。争いは「愚」、人種の差別、不平等、自由を奪い、迫害を生じると。
 日清戦争は、十九世紀末、「下関条約」の成立により閉戦。そのほぼ十年後の二十世紀初期、日露戦争は、「ポーツマス条約」をもって閉戦を迎えることとなりました。その後、祖父は、四十五歳で「巡洋艦」上の人としての任務を終えて、二十三年間の現役を終了、海軍での生活から退きました。
 海軍現役中の任務は多種、多難でした。争いの現場においては、責任重大です。「連合艦隊」の一員として臨んでおり、「巡洋艦」での任務は複雑でした。回想に家族の消息をその都度書き残していたことが印象に残っています。でもなお思います。祖父にとっての本当の「海」は、日本移民協会の皆さんとともに、その活動に携わったことだったのではないかと。

 祖父の「感無量」

 祖父の「感無量」という文字をそこかしこに見ました。中でも「防護巡洋艦、秋津州(アキツシマ)」の着任を命ぜられたときや託された業務を無事終わったときなどの記述で特に感じました。今回、この回想の記録を読み終えて思うのは、この「感無量(感慨無量)」の言葉を通し、経験を「神意」として伝え、証しとして残しておきたかったのではないかと。
 回想の最後のページに記された言葉です。
 「武力解決は、一時の不得。不倶戴天(フグタイテン)の敵という時代。広く活眼を開き、包容の態度を練りもて。人類の幸福は、神意人道なり。聊か(いささか)の所見を記して子孫に教ゆることとす。一九三七(昭和十二)年十一月記す 加藤壮太郎」(武力での敵、味方は当てにならない。目を開いて、物事の道理や本質を見抜くべきです。人の幸せの全ては神様の意志のみにあります)。
 祖父に関しては、手元にある写真数枚と、三歳ぐらいのとき父とともに上京し会った記憶しかありませんでした。回想を読んで、私も祖父のまねをして「感無量」と言いたいと思います。

美子の取材日記(六) 心の機微を描いた「化粧」

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:YK)

 新宿三丁目の紀伊國屋ホールで、平淑恵の一人芝居『化粧』を何度か観た。大衆演劇一座の女座長・洋子が主人公の、うらびれた芝居小屋で起こった、生き別れの母と子の物語。初日の幕が開く前の楽屋で舞台化粧をしている洋子の元に、若かった頃の彼女が捨てた息子が、今や押しも押されもせぬ人気アイドルに成長して母親の舞台を観に来る。そうと聞いた彼女の心の揺れようたるや尋常ではない。
 さらに、物語に出てくる芝居小屋は近く取り壊されるようだ。背後では絶え間なく工事のクレーンの轟音が鳴り響き、洋子のか細い独り言の回想がかき消されそうになる。
 さて、この舞台を二度目に観て気がついた。この話は全部、洋子の妄想なのではないか、と。一人芝居だとばかり思って観ていた物語は芝居なんかじゃなく、洋子の哀れな現実だったのだ。
 よくできていると感心しながらのめり込んで観ていた一人芝居の脚本は、実は恐ろしいことに懸命に生きてきた洋子という狂人の現実なのだった……。

 洗礼を受けた井上ひさし

 この舞台は井上ひさし脚本の『化粧』だ。井上ひさしといえば『ひょっこりひょうたん島』や『ひみつのアッコちゃん』など子ども向けの作品が有名だけれど、『化粧』のように人生を重ねてきた人びとの心の機微を描いたものもある。それはもう寂しくて救われない人生だ。
 ある冬、井上ひさしの戯曲を専門に上演する「こまつ座」の事務室で平の取材を待っているとスタッフが教えてくれた。
 「井上は東北のラ・サール会の孤児院に預けられて育ったんですよ。洗礼を受けたのはその頃のことなんですって。この『化粧』には井上の心の機微が反映しているでしょう?」
 本がびっしり並んだこまつ座の書架。浅草橋の駅から降り積もった雪を踏みしめながら行った当時の「こまつ座」は、広くはないけれどもホッとする場所だった。真冬の雪道と井上のぬくもり……「こまつ座」に近い秋葉原や浅草橋辺りの高架からは、いつもそんことを想いながら総武線の窓から景色を眺めるのだ。

2020年12月24日 クリスマス・イブ礼拝

 12月24日午後5時より、クリスマス・イブ礼拝を行いました。
 聖書朗読と賛美により、主イエスのご降誕をたどり、神様が与えて下さった救い主の誕生をお祝いしました。

マタイによる福音書1章18~25節を朗読しました
マタイによる福音書2章1~12節を朗読しました

2020年12月20日 教会学校クリスマス・ページェント

 教会学校の生徒と教師が中心となって、礼拝後に主イエスのご降誕をお祝いするクリスマス・ページェント上映しました。

トーンチャイムで「きよしこのよる」を演奏します
天使がマリアのところに遣わされました。「おめでとうマリア」を賛美します
天使が羊飼いたちに主メシアが生まれたことを告げ知らせます
イエス様はベツレヘムの馬小屋に生まれました。「かいばおけに」を賛美します
三人の博士が東方からやってきました。「われらはきたりぬ」を賛美します
主イエスがお生まれになったクリスマスをお祝いしましょう