随想 他利側楽(たりはたらく) がんウイルスが示す命共生の選択

○ぶどうの枝第57号(2022年12月25日発行)に掲載(執筆者:KM)

 私は去る五月、小さな自伝を発行しました。大変僭越ながら、促されるままここに自己紹介させていただきます。
 命育む地球を初めて宇宙のかなたから見たガガーリンの「地球は青かった」という言葉は有名です。彼の後、多くの人が宇宙から地球を眺め、いとおしむ感情を述懐しています。命育む状態は壊れやすいということでしょうか。
 衆知のとおり、今や地球環境は危機的状態にあります。先日アフリカで開催されたCOP27の議論を聴くまでもなく、地球温暖化は命の存続を脅かしています。この危機的状態の改善にとって、国際間のエゴが大きな障害になっています。
 私の若い頃、日本は第二次世界大戦を引き起こし、敗戦という史上未曽有の経験の最中にありました。この間私は、自己責任で生きることの大切さを体験し、このことで聖書に出会う機会に恵まれました。代々家業であった医者の道に進むことにしたその入口で、目指す医師像についてアンケートがありました。聖書を読んでいた私は「食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても神の栄光を現すため」(コリント信徒への手紙1 一〇章三一節)というパウロの言葉を究極の目標として医道に励みたいと書きました。自力でそのようなことを実践できないことを、私自身が一番よく分かっていました。しかし、この選択は私に大きな影響をもたらしたと思います。
 ジャン・ポール・サルトルは言っています。人の一生は誕生(B=birth)に始まり、死(D=death)で終わる。そのBとDの間の選択(C=choice)が一人ひとりの人生を彩ると。私は、自分の真のふるさとに錨(A=anchor)を下ろすことができることが大切だと思います。つまりABCDの人生です。
 旧約聖書の記述によれば、創造主の神は、天地創造の最後に人を造られ、そして選択の自由を与えられて、神が良しとした楽園に住まわせました。人は自らの選択で禁断の木の実を食べて、失楽園の結果を招きました。
 創造の最後に造られた人に、神は「生めよ増えよ地に満てよ、地を治めよ」と祝福を与えられ、自分の周りに利益をもたらすこと、つまり私の言うところの「他利側楽」を期待されましたが、人は自ら失楽園の道を選択してしまいました。人はそのことを悔い改め、創造の神のお赦しを受けなければ状況は悪化するばかりです。
 私は自分の選択により、半世紀以上にわたりがんウイルスとお付き合いすることになりました。地球上の最も小さい生命であるウイルスは、自分の子孫を残すためにそれぞれ特殊な機能を持った生きた宿主細胞が必要なのです。自分の子孫を増やし過ぎれば宿主細胞は死滅し、結果としてウイルス自身も死滅してしまいます。存続のためには宿主と共に生きる条件を見いださなければならないのです。ウイルスは遺伝子の発現を調整してこれを達成させています。
 ウイルスとの長いお付き合いからいろいろなことを学びましたが、その中でもこの命共存の法則は、極小の生命であるウイルスが発信しているとても大切なメッセージであることを知りました。己の英知にのみ頼るのではなく、周囲との共生を図ることが、自分の健康寿命の延伸につながることを教えられました。現在人類を悩ませている新型コロナウイルスへの対応においても、ウイルスとの共生は大切なことだと思います。
 私の選択によって生じた困難な経験を通して、私を守り導いてくださった神の大きな愛のエネルギーの一端を、下記の拙文に託しました。お目通しいただければ、私にとって「他利側楽」の思いであり、感謝です。