○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:KH)
私たち夫婦が和と洋の庭造りを始め、半世紀以上になります。住居は佐倉市南部にある農村和田地区に位置し、国道五十一号線のそば、佐倉インターに三分。成田空港へは約十五分。国内外旅行には大変便利で快調と若い頃には喜んでおりました。しかし昭和五十年頃でしょうか、佐倉第三工業団地に大きな会社群が姿を見せ始め、巨大な建物が庭先から見えるようになってきました。いずれは、我が家の近くまで迫ってくるであろうことに一抹の不安を持たずにはいられませんでした。
そのようなとき、当時主人が勤務していた佐倉市役所内に園芸部が発足。毎年市長さんはじめ職員家族を交え、大型バスにて埼玉県川口市の植木の町・安行(あんぎょう)や東京神代植物園等の緑化視察を兼ね、出かけるたび珍しい植物・植木等を買い求めては植えました。繰り返すうちに、我が家の自主緑化が進み、日本庭園造りに発展しました。
後、私は四十半ばで職を辞し、茶道・生花教室を自宅にて開き、出稽古等に忙しく、充実感に満ちていました。本来ならこのような働きができることをまず神様に感謝すべきところですが、私は全く神様から離れていたのです。
そのような折、永く兼業農家をしつつ会社勤めをしていた義母が六十歳定年を迎え、退職をした翌日、「この畑は和子さんに譲るから」と宣言。退職日さえ知らされていなかった私は、びっくり噓のような出来事でした。それでは花畑にでも、とのんびり気分でいました。しかし、現実は厳しく、肥沃な畑は手を加えなければ草は容赦なく生え、伸び茂ります。約二百坪ある畑を前に既に思考回路は断たれ、それでも自力本願でどうにかしなければと畑の前にたたずむことの日々。だんだん肩の荷が重くなり、うつ気味に。そんなある日、ふと「これは神様が私に与えてくれた畑」と素直に受け入れた時、不思議に(汝思い煩うことなかれ……主は耐えらぬ試練を与えられることはない、空の鳥を見なさい)等々主のいたわりある御言葉が次々と私を覆い包んでくれました。涙があふれ、感謝の祈りをしたことを今もはっきりと覚えています。本当に苦しいとき、主は祈りに応えてくれることを実感しました。
その後、体調も徐々に回復。固まっていた頭も快調、創作意欲も全開。私たちの庭は「神様から預かった庭」をコンセプトに造っていこうと思い、取り組みました。
主人は造形物を造るのが上手な人で注文した物をしっかりと造り上げてくれ、二人三脚でどんどん庭は変化していきました。
五月の洋風の庭は、バラを中心に様々な草花が咲き乱れ、多種の蝶やトンボ、かわいらしい小鳥が庭を舞います。また、和風の庭は四季折々、木々に花をつけ、落ち着いた心静まる場となります。
私は詩篇二三編が大好きです。
「主は我が牧者なり我乏しきことあらじ、主は我を緑の野にふさせ憩いの汀に伴い給う 主は我が魂を 生き返らせたもう」 と 私たちの庭を訪れてくださる方たちが、安らかな気持ちで、ここにとどまってくれたら本当にうれしいです。
庭も年数を重ね、充実期を迎えつつあるとき、英国The NGS(ナショナルガーデンスキム) 母体のNGSジャパンより庭園福祉活動を通しての協力依頼を受け、庭を開放し十年になります。
主が「あなたの隣人を愛しなさい」と教えられたことを大切に思い、主人と共に造りあげてきた庭です。しかし、神様から預かった物はいずれ神様に返す日がきます。後はどうしようと思い煩うことなく、神様に委ね、これからも守っていきたいと思います。