随想 一枚の宝物の絵葉書 「神様はどんな時でも」

○ぶどうの枝第60号(2024年6月30日発行)に掲載(執筆者:KO)

 今、私の手元に一枚の古びた絵葉書があります。何年もの間、私の暮しの中で大切にしてきたものです。私の「宝物」といってもいいでしょう。
 いつの頃だったか定かではありませんが、ある人が「お元気ですか?」という言葉を添えて、送ってくれたものです。はじめは私が育った瀬戸内の海の、波がひたひたと寄せては、静かにすーっと返す浜辺の情景を思い起こして懐かしく、手にするのがうれしい一枚でしたが、その絵葉書の波打ち際に続く一筋の足跡が、ブラジル人の詩人アデマール・デ・パロスの『神われらと共に(浜辺の足跡)』に基づく情景であることに気づくのにそう時間はかかりませんでした。その詩の全文を知りたいと思いながら、時は過ぎましたが、セピア色に色あせはじめたある日、曽野綾子の『老いの才覚』を読んでいて、『神われらと共に(浜辺の足跡)』の全文をとうとう発見したのです。「これだ!」と私は心の中で狂喜しました。
 『神様はどんな時でも共に居てくださる』
 佐倉を離れ、所沢で過ごした五年間は、壁のよく見えるところにその絵葉書を貼って、その詩を思い浮かべながら日々眺めて暮らしていました。近くに教会はなく、コロナ禍の上に体調不良が重なり、出歩くこともままならなかった五年間の中で、この一枚はセピア色に色を変えながら、私にとっての支えになってくれました。
 『神様はどんな時でも共に居てくださる』
 その思いをより深めてくれ、そして〝祈り〟へと導いてくれたのです。そして今、再び佐倉に戻り、すっかりセピア色に変わってしまったその絵葉書を壁に貼って、部屋の窓から、そよ風に揺らぐ新緑の木々の向こうの遠くの空を眺めながら、加齢にあらがうことなく、神様に導かれるままに、平穏な一日一日を暮らしたいと願っているところです。