美子の取材日記(六) 心の機微を描いた「化粧」

○ぶどうの枝第53号(2020年12月20日発行)に掲載(執筆者:YK)

 新宿三丁目の紀伊國屋ホールで、平淑恵の一人芝居『化粧』を何度か観た。大衆演劇一座の女座長・洋子が主人公の、うらびれた芝居小屋で起こった、生き別れの母と子の物語。初日の幕が開く前の楽屋で舞台化粧をしている洋子の元に、若かった頃の彼女が捨てた息子が、今や押しも押されもせぬ人気アイドルに成長して母親の舞台を観に来る。そうと聞いた彼女の心の揺れようたるや尋常ではない。
 さらに、物語に出てくる芝居小屋は近く取り壊されるようだ。背後では絶え間なく工事のクレーンの轟音が鳴り響き、洋子のか細い独り言の回想がかき消されそうになる。
 さて、この舞台を二度目に観て気がついた。この話は全部、洋子の妄想なのではないか、と。一人芝居だとばかり思って観ていた物語は芝居なんかじゃなく、洋子の哀れな現実だったのだ。
 よくできていると感心しながらのめり込んで観ていた一人芝居の脚本は、実は恐ろしいことに懸命に生きてきた洋子という狂人の現実なのだった……。

 洗礼を受けた井上ひさし

 この舞台は井上ひさし脚本の『化粧』だ。井上ひさしといえば『ひょっこりひょうたん島』や『ひみつのアッコちゃん』など子ども向けの作品が有名だけれど、『化粧』のように人生を重ねてきた人びとの心の機微を描いたものもある。それはもう寂しくて救われない人生だ。
 ある冬、井上ひさしの戯曲を専門に上演する「こまつ座」の事務室で平の取材を待っているとスタッフが教えてくれた。
 「井上は東北のラ・サール会の孤児院に預けられて育ったんですよ。洗礼を受けたのはその頃のことなんですって。この『化粧』には井上の心の機微が反映しているでしょう?」
 本がびっしり並んだこまつ座の書架。浅草橋の駅から降り積もった雪を踏みしめながら行った当時の「こまつ座」は、広くはないけれどもホッとする場所だった。真冬の雪道と井上のぬくもり……「こまつ座」に近い秋葉原や浅草橋辺りの高架からは、いつもそんことを想いながら総武線の窓から景色を眺めるのだ。