受洗者より 受洗祝福の言葉に感激

○ぶどうの枝第56号(2022年6月26日発行)に掲載(執筆者:NH)

 年内に受洗しなくてはと、命も終わるのではと、牧師先生のご指導で日にちも定まり、受洗できました。八十一歳です。
 両親の伝道所のお陰で、家には男女年齢問わず集まり、にぎやかでした。中学生の頃より奉仕活動に参加。楽しかったことは、土曜日讃美歌の練習会です。好奇心旺盛な頃で帰り道に、先生のお宅には珍しい物や、あんなのがあった、あれは何する物?とか。勉強は苦手でしたが、十二年間我が家姉妹は全員皆勤でした。
 貧乏生活でしたが、両親は一生懸命でしたから、何の不足も感じず、頑丈な体を作っていただきました。友だちもたくさん、今も続いています。結婚が決まったときに、母からNという名前は、お父さんと一緒に考え、正しことを宣べる子どもになってほしいからNとしたと聞き、「大丈夫だよ、悪いことはしないから」と言いました。そのときに「キリストの道」と分かりましたが、聖書は思うように進まず今になりましたが、行く先々で教会は探してきました。これから一年生になりましたことを母に伝えて、先の見えた毎日を大切に頑張ります。
 金牧師ありがとうございました。佐倉教会の皆様が暖かく見守り励まし、受洗後の祝福のうれしいお言葉を大勢の皆様からいただきました。名前と顔がまだ分からずごめんなさい。感謝です。車に乗ってから感激の涙でした。うれしい、思い出の深い受洗でした。
 ありがとうございました。これからもよろしくご指導ください。神様と共に歩もうと主に仕える志をいただき、感謝いたします。乱筆失礼。